たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/グッバイゴダール!

<軽蔑>や<気狂いピエロ>を思わせる色配分で
ゴダールと当時の妻アンヌヴィアゼムスキーの生活を
コメディタッチで描く<グッバイ、ゴダール!>

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ゴダールのプライバシーと人となりを見せる映画
もしくは、ゴダールという人物のマヌケ話し
ただの革命バカ野郎の行動と言動
しかし、このゴダールという異質な存在の魅力、、、

ゴダールが商業映画を捨て
政治的メッセージに傾倒し始めた<中国女>は、

毛沢東信者でありながら
中国政府から「こんなのは革命ではない、あなたは革命を知らない」と
上映を拒否される始末、、、Ⓦ

学生運動の集会に行ってみたが
みんなが共鳴してくれると思っていたら
「映画を捨てる覚悟があるのか!」と逆になじられる始末、、、Ⓦ

しまいには
ユダヤ人はナチと同じ」
「現代のユダヤは、昔のナチ」と言ってしまうと、

学生たちからは
ゴダールは親中国のくそスイス人」と罵声を浴びせられる、、、Ⓦ

当時はまだ文化大革命の実態も知らず
政府を批判することもできない国(今も変わらない)
自由にものを言えないそんな中国共産党に傾倒する愚かさ
結局「文字」で書かれた「思想」に憧れ
真実を見つめることの出来ない愚かさ、、、Ⓦ

でも、黙っていたのでは何も変わらないわけだけど
それ以前に人としては尊敬できなくなってしまう、、、

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過去の自分の映画を「死んだ映画」といい

この頃のゴダール
「ラング、ルノワール、ホークスも捨てろ
ジェリールイスとマルクス兄弟以外(の映画)はゴミ箱に捨てちまえ!」と
アナーキな言動で挑発する

カンヌ映画祭を中止に追い込む

この人たちにしたら
革命は何でも許されるのかも知れないが、

ひどい話だよね
裏方でそれまで尽力した人たちの苦労や
多くの海外の関係者に迷惑をかけるわけだけど
どうせ、そういうところまで考えは至らないんだよね

自分の考えだけが全てで
良識や常識にはとらわれず
それは「革命」のためなら許されると
ハナから自己肯定する前提に立って納得している
ただの自己中心的な考え方の厄介な人なんだよね、、、Ⓦ

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こんなセリフもあった
「客より従業員を見ていろ」
経済の衰退した社会を受け入れる覚悟があるのかね

そのセリフから紐づくエピソード
ゼネストを自ら支持しながら、ガソリンが欲しいという

帰りたいが帰れない、その状況を作ったのは自分であるとは考えもしない
覚悟のない人間はコイツではないかと思うが、そのマヌケぶりが笑える、、、Ⓦ

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ゴダールと親友のベルトルッチが絶交するシーンは泣けた
バカなヤツだな
こいつは結局自分だけなんだ
自分以外の人間は否定する対象

ボクは日頃思っている
自分をバカと思わないバカほど厄介なものはない
まさしくゴダールがそれだ

人って間違いも犯すし、バカげたこともする
そういう自覚のない人間ほどバカで愚かで厄介なんだよ、、、Ⓦ

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人々が言うね
「商業映画にはいつ復帰するの?」
「映画は娯楽なんだから、わざわざ、そうでない映画見ることはない」
「楽しい映画を観たい、人生にはツライことが多いから(わざわざ映画でも見たくはない)、それが映画を観る基準」

当然ゴダールはキレるね

「映画はトリュフォーが撮っていればいい」という
それならばゴダールにとって映画とは何か?

ゴダールにとっては
娯楽映画にイチャモンをつけながら
ルイスもマルクス兄弟も持ち上げるわけだから
どちらも「娯楽」でも「コメディ」でもなく「狂気」なんだろうね、、、

しかし
この件に関しては
一般の映画鑑賞者の多くがそうだと思う
それがノーマル
最大公約数

でもね
映画ってそんなに浅いものではないからね
それに気づいた人は奥に進んでいくんだよね

いってみればマイノリティで
変わり者で、変態なんだろうね

娯楽でないものに心動かされ
その瞬間がボクにとってのエンタメで
考えることが好きで、それが楽しい人もいる

と、
気づけばボクもゴダールのような
大勢とは反対方向にいる人間であるかもしれない、、、Ⓦ

ゴダールっておっちゃんが
めんどくさくて、ウザくて、腹立たしくもあるけど
でも、こういう人がいるから、世の中って面白いんだよなぁ、、、

でも、やっぱり非常に迷惑。

3☺
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<軽蔑>のオマージュ