たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画に限っては、結局そうなっちゃう、、、

 

昔のこと、知り合いのキャメラマンに「好きな映画は何ですか?」と訊いたことがある、するとボクの質問を拒絶するように「あ、映画をストーリーで見てないから」と云ったきり、この先映画の話を続けることを遮った『どうせショーシャンクはいいですね、とか、ニューシネマパラダイスが好きですとか、スタンバイミーが一番好きな映画ですって展開になるんだろよ』とも想像してうんざりしているかのように、どうせ話しても嚙み合わないだろうから映画の話は止めましょうと言いたげだ、、、ボクは云った「年間4~500本観てますよ、ストーリーは映画の一つの要素でしかないですね、ボクはキャメラの構図や動き、画の美しさに最も注目して映画を観ています」と伝えると、その人は表情を変えてボクに向き直り、次々とキャメラマンの名前を引き合いに出し映画について語り出した、、、

 

ボクの弟が云った「でも、映画って結局は個人それぞれの観方じゃん、個人がどう思うか、好きか嫌いかってだけでしょう、映画なんて?」かならずこういう人達がいる、いや、ほとんどの人がそう考えていると思う、好きか嫌いかは当たり前のこと、でもそれだけでないはずだ、、、弟はアメフトの選手だった、ボクは云った「それならアメフト未経験の俺が大して知りもしないのにアメフトについて知ったように語ったらどう思う?アメフトを舐めんなよ、そんな薄っぺらく浅いもんじゃないんじゃ!って言いたくならない?」と、

 

でも、なんで映画だけそうなの?演劇だって、文学だって、音楽だって、美術だって、そのジャンルの眼が利く人たちがいて作品を評価し人々に伝えている、スポーツだってそう、やっぱり実際にその競技をやっていた人の捉え方見方は一般の観客とは違うし、奥が深いし注目するポイントが違う、、、なのになのに映画だけに限ってはその人個人の好みとされる、それならただの人気投票、有名な作品、たくさんの人が観た映画が「良い映画」みたいなことになって、とても薄っぺらな文化になってしまう、もちろん映画を娯楽として大いに楽しめば良いけど、、、たとえばアイドルが好きな人が大勢いるのは良いけど、じゃ、「実際歌が上手いのは誰?」ってなった時、「優れた楽曲は何?」ってなった時、アイドルではないでしょ?「好き」と「良い」は必ずしも一致しないよね?人気投票とは別の評価がないと、真実は見えなくなるよね?、、、こういうことを言う人がいた「もしも秋元康が<川の流れのように>を作詞していなかったら、秋元氏への評価は全く違うものになっていた」と、

 

このままいくと映画を心底知る人はいなくなる、映画バカでマニアでシネフィルで映画を深く読み解いて、その良し悪しを語れる人がいなくなると、映画は文化でも芸術でもなく単なる娯楽コンテンツに成り下がってしまうのだ、、、だからボクはボクの次男のような若者が少しでも増えていって、ちゃんと語れる人が絶滅しないことを願っているのだ、、、ボクなんかより上の世代の人たちは本当によく映画観ているし、よく知っているし、目利きも良い、やはり映画は場数だよ、たくさん観ると目が肥える、、、

 

                                  <アニエスによるヴァルダ>より

 

 

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