たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/野菊の如き君なりき(二度目の感想文)

最近の映画の特徴というか、流行りというか
本編のラストに、タイトルをドカーンと出すパターンが多いよね

だけど
それが効果的だったり、意味があったりするようには思えないものも多い

この<野菊の如き君なりき>も
もう60年以上も昔の作品だけど
最後にタイトルが出てくるね
それは当時としては非常に珍しいことだったはず

しかし
単なるセンスではなく
そのタイトルの出し方が唸るほど上手いのだ

なるほどねえ
まさにこういうことなのだねえ
ちゃんと意味があるのだねえ

これこそ
最後にタイトルを出すお手本

カッコイイとか
好きな他の映画を真似てヤルのではなく
ちゃんとそうする意味があるのだよ
納得できる説得力があるのだよね

イメージ 1

この作品に関して書くのは2度目だけど
鑑賞するのは4度目
何度観ても胸が苦しくなるね

田舎の村社会の男尊女卑の
コトなかれ主義、体裁の中で
犠牲になっていく若い恋人たち

3、4場面しか出ない浦辺粂子
非常に印象的な演技で
観客の感情を更に高める


カットの割り方が巧いんだよね
カットの並べ方だね上手

しいて言えば

実験的な技法に挑戦する木下惠介らしい
当初は効果的に思えた過去のシーンでの
マスクがうっとおしく思えるようになってきた

この技法は多くの作品で
過去や未来や夢のシーンに多用されているが
木下はいち早く挑戦した先駆者なんだね

でもね
せっかく素晴らしいロングの画は
やはり広い画で観たいなぁと
正直思ってしまうね、、、

いや
それにしても
何度観ても素晴らしい傑作だ、、、