A Star Is Born
ボクは
ほとんどの映画に良いところがあると思っている
だから
「まったくダメ」「いいとこ無し」「大嫌いだ」という映画は
年間に300~500本観ても、数本だ、、、
ところが
この映画を観た直後の妻と次男は
ケチョンケチョンに大バッシング
それに対して
とくに絶賛したわけでないのに
全否定しないボクに対して
「どんだけ映画沢山観ようが、こんな作品を否定しないヤツは映画を語る資格なし!」とまで言われた
ふたりにとって
この作品は「全否定しなければいけない類」の映画なのだそうだ、、、
(もちろん、二人にとって今年のワースト1即決!)
この映画<スター誕生>は4度目の映画化ではあるが
1作目の原作であるウェルマン版でも
ジュディーガーランドで有名なキューカー版でもなく
明らかに
70年代バーブラスタイサンド&クリスクリストファーソン主演
フランクピアスン版の<スター誕生>なのだ
もちろんロックの世界を舞台にしている設定も同じだが
主演のブラッドリーの風貌(とくにヒゲ面)は
明らかにクリストファーソンを意識したもの
そして
レディガガが盛んに鼻が大きいことに話が触れるのも
バーブラに対する意識であり
監督のブラッドリーが
過去の<スタア誕生>ではなく
前作<スター誕生>をリメイクしていることを宣言しているのだ、、、
その初監督のブラッドリークーパーだが
そこそこ無難に監督業の一歩を踏んだようにも思えるが
うちの次男と妻は容赦しない
「まったく演出がなっていない」
「画が撮れていない」
「ミュージックビデオだ」と、
ミュージックビデオ、もしくはライブ映像だとしても
ふたりのパフォーマンスは凄くカッコ良かった
しかし彼ら(次男、妻)は
「そんなのは映画ではない」と、
たしかに
会話のシーンを
カチャカチャカットを割って
ド素人ぶりを公開してしまっているが
たとえば
せっかく窓際に登場人物を配置したのなら
逆光の引いた画を入れるべきだし
もしくは
そのままFIXの画の中で演技させれば良いのだが
そういう知恵はブラッドリーにはなかった、、、
でもね
ツカミと言えるガガの登場シーン
これから本編に観客を引っ張っていくには
十分なパフォーマンスだったと思う、、、ツカミはOK!
また
バイト先の従業員通用口のスロープを
歌を口ずさみながら登っていくガガの後姿に
「A STAR IS BORN」と
やわらかい印象でゆっくりとタイトルアップされる箇所も
これから始まるこの物語のアリーのいく末を暗示させる
非常に良いツカミだった、、、
しかし
ラストの歌唱シーンで
フラッシュバック的なカットのインサートは
古臭い手法で非常にまずかった、、、アチャ~最後の最後にやっちまった~
あと
次男はこんなことも言っていた
「自殺のシーンが長いね、同じメロドラマでもダグラスサークなら1ショット1カットでここらへんは表現できるよね、一方ブラッドリーは何をやっているのか」と、
そして
ガガの父親とか友人の黒人とか、厚みを持たそうとしたけど
結局「俺はシナトラより歌は上手かった」のセリフの繰り返しのみで
父親の存在を巧く使えず
監督の意図が上手く機能せず失敗に終わっている、、、
などなど
まだまだ愚痴もあるけど
ふたりのパフォーマンやライブシーンで
どうにか帳尻を合わせてはいると思うのだが、
次男と妻は許さない、、、金と時間返せよ!
が
もしも、これが、
当初監督予定だったイーストウッドだったら、どうなっていたか?
ボクの推測では
70代のリメイクでも
以前の作品でもない
改変された新しいスター誕生を
イーストウッドなら見せてくれたような気がする
たとえばね、
今回の作品でブラッドリーの父親が
自殺未遂を起こしたことがあるというエピソードがあるが、
イーストウッドだったら
父親と同じように
自殺はマヌケな形でブッラドリーも失敗する
しかし
その後遺症が残り
さらにガガに負担を負わせることになる
とかね
でも、幸い指先だけは動いて
その数本の指で
ブラッドリーがガガのために作曲する
とかね
イーストウッドだったら
観客を裏切る展開を絶対に見せてくれたと思うんだよね
(それがイーストウッド流だからね)
ま、
いずれにせよ
イーストウッド版のスター誕生は夢と消えたが、
そもそも
<スター誕生>というストーリーが
すでに現代に合わない古臭さと
今の時代に共感を得ない設定のような気がするんだよね
まったくドラスティックに変えてしまわない限り
もうこれ以上この題材は再映画化する意味も価値も持たないね、、、
3☺
PS
でも、
ガガにはオスカーにノミネートされて欲しいと思うね、、、