たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画「ツウ」について、、、

 

小柳ルミ子は毎日世界中のサッカーの試合を観ているそうだが、そんなに観ていれば目も肥える、しかし元選手でも評論家でもないのだから、やはりこういう人を「ツウ」な人というのだろう

 

「ツウ」職業にしていないがそのことについて詳しく長けている人、、、そういう意味では、蓮實御大は主な生業を映画評論家としていないが、世界中の多くの映画ファンが御大から映画の観方を学び、多くのファンや監督、はては映画評論家にまで多大な影響を与える存在だ、映画鑑賞の先生、しかし職業でないのならやはり御大も「ツウ」の人「ツウの中のツウ」「キングオブツウ」といえるかもしれない

 

昔ボクがガキの頃、チューリップの財津が「映画評論家不要論」的なことをラジオで喋っているのを聴いて腹が立った、こいつら自由業の金持ちは金も時間もあるから片っ端から選別せずに映画を観ることもできるだろうが、しかし時間も金も限られている若者は誰かを頼って観る映画を選択するしかない、そのため自分と嗜好の似ているそして信用のおける映画評論家は絶対不可欠な存在だった

 

そしてこういう人が多い「映画なんて自分の感じ方」それはそうかもしれない、しかし「優れた映画」となると話しは違う、、、ほかの芸術もスポーツも経験者や多くを観てきた目の肥えた専門家がいるのに、なぜか映画だけは全ての人が映画評論家になってしまうのか、、、ボクだって野球やサッカーが好きだけど本格的にプレイした経験もなければ毎日のように観戦しているわけではない、だから深いところや技術的な事など専門家の足元にも及ぶはずもない、だからといってそういう人達をボクは「ツウぶりやがって」とは言わない

 

「好き」な映画は個人の感性、しかし一方で「優れている」良い映画もある、ツウ好み、玄人と好みの作品、、、演劇だって絵画をはじめとした美術、文学、音楽、はてはスポーツ、料理に至るどんな分野にも「目の肥えた」人たちが語っているのに、「映画はしょせん娯楽」と決めつけ「好きか嫌いかでしょ」と言い切る人たちが多い、、、なんで映画だけそうなの?

 

ガキの頃自分も難しい映画をみてさっぱり解らない時、ツウぶって「素晴らしい」「良い映画だ」と言う人達を、『分かりもしないのに知ったようなことを言う人達だ』と思った、自分が分からないことを棚に上げ、読解力のなさを認めず逆ギレして「ツウぶりやがって」と吐き捨てるのだ、ボクもそんなガキの一人だった、、、アケルマンの<ジャンヌディエルマン・・・>やタルベーラの<サタンタンゴ>を観てみて何が評価されているか考えて観ればいい、ツウぶった人たちが分りもせずに理由なく持ち上げていると言えるのか?

 

蓮實重彦に関するトピックス:朝日新聞デジタル