オーソンウエルズの
1974年公開の遺作
この映画を観ていて
他の幾つかの映画が頭をよぎった
たとえば<全身小説家>
自分の存在そのものを違う物語に
書き換えてしまった小説家
そして
贋作と知っていても人々に愛される名画
そもそも映画とは
役者や監督等スタッフによって
観客を騙すもの
それが例えドキュメンタリー映画であっても
監督の意図によって作られる
真実、現実、現実的
ペテン師、詐欺、騙し、ウソ
芸術はウソ
真実を理解するためのウソ
観客は現実よりもウソを楽しみに
劇場に足を運ぶ
あ、
またあの映画を思い出した<パールハーバー>
パールハーバーのプロデューサーは
史実的に真実でないことを指摘されると
「観客は歴史の勉強をしに劇場に足を運ぶのではない」と、
「エンターテインメントを楽しみにくるのだ」
「映画はエンターテインメントなのだ」と語った
監督はペテン師で
作り物は映画そのもの
本物ではない
しかし
本物以上の価値を持つことがある
それが名作といわれる映画たちであり、名監督たちだ、、、
オーソンウエルズが語り
16mmカメラの荒い粒子の画像で
ドキュメンタリー映画風な作り
もうすこし後の時代だったら
きっとビデオカメラで撮っただろう
そういえば
ゴダールが<ヒア&ゼア・こことよそ>1976年で
ビデオカメラに挑戦したように
これはオーソンウエルズの<こことよそ>ともいえる
『最初の1時間が退屈』というのが
『最初の1時間が退屈』というのが
この映画のおおかたの感想のようだが
ぜんぜん退屈ではなかった
というか、ここをしっかり見ていないといけない
凝ってないふうな画でも面白いから
目が離せない
この映画で
オーソンウエルズの新局面を見せて、彼は去った
これからが新しいウエルズ幕開けだったのに、つくづく残念だ
と、思う反面
<市民ケーン>で映画を魅せて始まった彼の旅は
<フェイク>で映画を語り幕を引いた
歴史に残る映画人としての責務をきちんと果たした気がする、、、