たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

「何者」、、、さらば10代の日々篇その2

ボクの高校の時からの憧れの存在だった
 
大林宣彦が祖父なら
大森一樹森田芳光らが自主制作映画の父で
石井聰互や黒沢清が兄貴となる
憧れの兄貴だ
 
黒沢清立教大学時代に<しがらみ学園>で
雑誌ぴあのフィルムフェスティバルで入賞した
 
蓮實重彦から強く影響を受け
映画映像に関しの眼力では一目置かれる存在だ
 
その後
日本映画史上の傑作<太陽を盗んだ男>の助監を経て
相米慎二の助監督についた

その後ディレカンで<神田川淫乱戦争>を撮り
そして<ドレミファ娘の血は騒ぐ/女子大生・恥ずかしゼミナール>といった
ピンク映画を撮った時に知り合った伊丹十三
プロデュースをした<スウィートホーム>でメジャー映画の監督を任される

ここまでみると
黒沢清はある意味
経歴的には自主映画界のスーパーエリートだ 

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しかし
スウィートホーム>の公開後に裁判沙汰となる
記念すべきメジャー初監督作品は今や絶版となり
その映画は今でも完全に埋もれてしまった

その後
大傑作<CURE>を撮るまで日陰の道を歩んだように見えたが
<CURE>以降は次々と力作、秀作、傑作、問題作を世に出し続け
今や日本を代表する大監督となった
 
ちなみにディレクターズカンパニーは
その10年間の活動期間中に10本の映画を制作したが
興業的には成功できず
 
最後に
井筒の監督による<東方見聞録>の撮影時の大事故により
倒産への道を歩みディレカンは消滅する

この呪われた作品<東方見聞録>は未完と言われていたが
実はボクは昔完成した原版の存在を見たことがある

公開されず誰にも観られず
暗い闇の中に身を沈めたままフィルムがそこにはあった

今では封印が解けて
ビデオ化されたと聞くが、、、

さて

そんな憧れの存在 
黒沢清から届いた手紙には
コンテストでは自分が読んで審査したことから文面が始まる

その感想として
ボクの脚本の「悪い点」の指摘と助言
そして「良い点」の御世辞が便箋3枚に綴られていた
「設定がスキだ」そして「セリフが面白い」と書かれていたのは
お世辞にも嬉しかった
 
小学校の時はじめてもらったラブレターだって
とっくにどこかになくなってしまったが、

この手紙だけは 
後生大事にしまっておこうと思った、、、
 
そしてボクの十代は終わりを告げた、、、