高校の時、とてもマセた友人がいて、同学年とは違う大人っぽさを醸し出し、すごい酒呑みで、金持ちの長男で、スキーが上手で、女にモテて、半端ない読書量のヤツだった、、、この映画が公開された時、高校時代に連れ戻されると同時にヤツのことを思い出したのだ「たっふぃー、これ読んでみろよ、最近読んだ中で一番好きな小説なんだ」とそいつは言ったが、ボクはまったく興味を示さない顔をしていたはずだ、しかしヤツにしては珍しく興奮気味に「高校生が書いたんだぜ、信じられないよ、この文章力、この感性」とボクに本を半ば押し付けた、、、仕方なく読んでみるとSEX描写があまりにも多い、確かにこれを女子高生が書いたとしたらちょっとした衝撃だ、、、そんなことも、そんな本も、中沢けい(作者で現法政大学教授)のことも忘れて40年経った頃に時を超えてこの原作が映画化されることを知った、むしろ何故こんなにも時間を必要としたのだろう、何故この小説が今の時代に映画化される意味があったのだろう、それが全く理解できないが、高校の時のこともあるので観てみることにした、、、
映画を観る時に、スクリーンに映るものではなく、キャメラの後ろの風景に想いを寄せることが多々ある、、、これを観ていると制作も知恵を絞ってロケ地を厳選し苦心していることが想像できる、動物園、植物園、銭湯、学校、海辺、これは40年経ってもこの小説が書かれた70年代とほぼ同じ風景を探すことが出来るだろう、しかし街は難しい、かなり仕込まないと当時を再現できないし、そのための労力と金が必要になる、だから街は出来るだけ(とくに広い画は)映さないように工夫している、部屋の中なら多少の小道具を置けば形になる、花柄の魔法瓶や炊飯器は70年代の雰囲気を作るのに格好のアイテムだ、ところがそんな苦心をしていながら銭湯のシーンでシャンプーが映る、PUREシャンプー、80年代に登場したその頃のパッケージデザインだ、あ、せっかく頑張っているのに、まだその頃には無い物がスクリーンに映ってしまっている、せめてアップで映すなよ、、、(原作が書かれた頃より7、8年後の設定だとの反論が待っているかもしれないが、)
あ、ラスト、水平線がド真ん中だぞぉーーー
この座り方はあり得ない、、、