たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/レーチェルレーチェル

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観たくてもなかなか観られないでいた<レーチェルレーチェル>を観ることが出来た、、、

 

映画の中で恋人同士や夫婦がラブシーンを演じるのは、演じるとは違う感覚、本気の感覚を伴うこともあるかもしれないが、そのパートナーが他の俳優とキスシーン、ベッドシーンを演じているのを見るときの感情はどんなものなのだろうか?「オマエ、ずいぶんと感情入ってたなぁ」とか言って喧嘩にはならないのだろうか?、、、それよりももっと感情が推し量れないのが、妻が俳優とセックスシーンを演じているのを眼の前でみながら「もっと感情を込めて」とか指示する夫が監督の場合、いったいどんな気持ちなのだろうか?それとも、それは内面ではそういう性癖の一種のプレイとして化しているのだろうか?

 

ポールニューマンの初監督作品で妻ジョアンウッドワードが主役を演じる、葬儀屋の娘として育った主人公はハイミス(死語?)の教師として片田舎で母親と地味に暮らしていたが、幼馴染の男と再会して生活に変化を得たのだがハッピーエンドには至らず、しかしながら変化を体験したことで勇気を得て、変化を求めて町を離れることを決心する、たったこれだけの話し、、、なのに引かれるのは初監督にしては見事な腕前をみせたポールニューマンの力量とスタッフ、キャストに恵まれてのことだろう、、、この後、<わが緑の大地/オレゴン大森林>というとても男臭い映画を撮ったのとは正反対に位置するとても繊細な作品だ、、、

 

カサヴェテスに同じ脚本を渡しても、同じような作品になったような気がする、、、

 

ピンを外しながらキャメラが寄って寄ってクローズに、決してピンがこないあたりのショットに震えた、、、