うちの次男の「LGBT」についての持論
自分が望まない生れながらに心と体が一致しないトランスジェンダーは、ある種の障害として社会が抱擁すべき人たちであるが、それと同じようにゲイやレズやバイセックシャルを含めることに違和感を感じるのだ、、、単なる性的嗜好、性癖であり、むしろロリコンやSMマニアと同じにカテゴライズされる対象、、、性的な趣味に何を認めろと言うのか?どんな権利を主張するのか?ロリコンオヤジが16歳の以下の少女との婚姻を認めろと言ったところで社会はそれを許すだろうか?そういう嗜好なんだね、そういう癖なんだね、ああ、そうかい、って、それ以上の何なのだ、、、と、
そんな次男の勧めでファスヴィンダーの<13回の新月のある年>を観た、、、ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ライナー・ベルナー・ファスビンダーが、自身の伴侶アルミン・マイヤーの自死をきっかけに手がけた監督作。原案・製作・監督・脚本・撮影・美術・編集の全てをファスビンダー自らが担当し、性的マイノリティの主人公の最期の数日間をセンセーショナルかつエモーショナルに描き出す。男性から女性に性転換したエルビラ。過去に女性と結婚しており娘もいるが、男装して男娼を買うような曖昧な性を生きていた。そんなある日、一緒に暮らす男クリストフが家を出て行ってしまう。絶望したエルビラは仲の良い娼婦ツォラに支えられ、育ての親シスター・グルドンのもとを訪れる。妻や娘にも会い過去を振り返ろうとするエルビラだったが、昔の自分に戻れないという現実を突きつけられるだけだった。さらにエルビラは、自分が性転換するきっかけとなった男アントンに会いに行くが……。「シナのルーレット」「マリア・ブラウンの結婚」などファスビンダー監督作の常連俳優であるフォルカー・シュペングラーが主人公を熱演。(映画.comより転載)
冒頭、主人公は男装して、、、って言うか、男性なんだけど(ややっこしい)
男を買いに行くと、「シンボル切り落としてんじゃん」と気づかれ集団リンチに遭う、そのシーンで流れる曲が〈ベニスに死す〉、、、そういう始まり、、、
ある男の過去に戻ろうとするロードムービー、といっても旅行をするわけではない、妻と娘など自分にとって重要な過去を知る人物たちを訪ね、もう一度自分自身が何者であったかを探る旅、、、
途中、残酷な屠殺場のシーンに目を覆う、、、しかし、淡々と流れるように行為は行われ、それを淡々とキャメラが捉える、、、それを基点にドラマは「生と死」を問う物語に浸り、そして「性と愛」の謎を問う、、、