たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌディールマン

 

日本中の多くの映画ファンが待ちに待った、日本では「映画史上のまだ見ぬ傑作」世界中のオールタイムベストに名を連ねながら日本人はずっと観ることの出来なかった女性監督シャンタルアケルマンの<ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディールマン>(タイトルが長い!)がとうとう日本初公開されたので「一目見てやろう」という観客で映画館は満席だった、、、

 

 

ひとり息子と暮らすありふれた主婦(母親)、清潔で秩序があり、神経質というか几帳面、部屋に出入りするたびキチッとドアを閉め、電灯を点けたり消したり、マメにちょこちょこと部屋を移動して動きは忙しい、、、起床から全て決まりごとのルーティンが繰り返されていて、何も起きない単調な毎日だけど、ただ一つ普通の主婦と違うのは売春で生計を立てていること、生活を維持するために毎日(曜日ごとに)違う男が部屋を訪れてくる、しかしこれさえも本人にしたら特別なことでなく日々のルーティンのひとつでありただこなすべき事の一つなのだ、、、そんな日常をローポジのアングルで、FIXで、長回しで、極力セリフを省いて3時間半延々と見せられる、<サタンタンゴ>で鍛えられているから一瞬も睡魔に襲われることなく観れたが、鍛錬できていない観客は数分で眠りの底に沈むことだろう、、、、

 

 

主人公の秘めた苦痛を観客にも体験させるのが監督の意図なのか、だとしたら監督の狙いとおりに本作は成功している、、、二日間同じ日常のルーティンを見せられた後、三日目に不穏な空気を違和感を観客は感じるのだが、ここまでの苦痛はラストまでの長い長い序章というか、準備だったのかもしれない、、、

 

 

映画史上唯一無二の存在を評価されているのかも知れないが、ま、映画史にこういう映画が一本くらいあっても良いかなと思えるだけで、それだけがこの映画の価値かも知れないが、観ているうちに一種の様式美にさえ感じたから不思議だ、、、、またこうも思った、FIXの画面から主人公はフレームインフレームアウトを繰り返す、対象が画から外れていなくなってもキャメラはパンもしなければ、じっと動かないでいるだけ、これってリュミエールだよね他の人がやらない特別なことをやっているように思えるけど、実はこれって映画の原点だよね、、、(前言撤回!)

 

ファスヴィンダーとの共通点みたいなものも探ったが、それはあまり意味がなかったようだ、、、