「身分帳」を原案に西川美和が舞台を現代に設定して描いた<すばらしき世界>
人生の半分を刑務所で過ごした前科10犯の元ヤクザが堅気の生活を手に入れようと就活に苦戦する話し、、、
「ギリケン」って言葉を次男が使っていた
「ギリギリ健常者」なのだとか
「三等分できない子供たち」なのだとか
IQは以前は「80」以下を知的な障害者と扱っていたが
その数があまりにも多いので
最近では「70」を基準にしている
だからIQ「71」~「80」を「ギリケン」と呼んでいるそうだが
差別的なニュアンスが色濃く感じが悪い
若者は「あいつ、ギリケンじゃね⤵」とか言って使っているのだろうか、、、
「正当防衛」が認められてしかるような正義も
主人公の彼の場合は「過剰防衛」になってしまう
これは「不器用」とか「短気」では済まされない
そういう意味では
この主人公は「ギリケン」なのかもしれない
いわゆるそれは「ナチュラルボーン」であるのだが
西川美和は「社会」のせい「環境」のせいにしようとしている節がある
母親のネグレクトのせいだと
知的な障害を社会の無寛容にすり替えるようとしている、、、
役所広司、梶芽衣子、安田成美、橋爪、長澤、中野、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、、、個性的な役者が揃っている
役所の眼が怖い、ヤクザのそれを思わせる
長澤の役は、長澤でなくても良い気がする
スーパーの経営者役の六角精児
主人公を温かく見守り就活を応援するのなら
オマエのスーパーで働かせてやれよ~と、思った、、、(W)
でも、これも監督の意図かも知れない
善意って何だろう?
ここに登場する主人公の周囲で応援している人々も
実際、優しい姿勢で彼に接するが
どこか入り込んでいない感じがする
心の底から交わらない気がするのだ
そこが恐らく監督の狙いであり
途中から離れていく長澤の最後のセリフが生きている
「逃げんじゃないよ、カメラ回すか、割って間に入って助けるか、どっちかしろよ!」
その長澤のセリフをぶつけられた中野は
映画のラストで泣き崩れるのだが、
主人公を思うなら心底徹底的に関われよ!と
その中途半端な関わりに長澤が言った言葉が蘇る、、、
主人公が九州に向かう転調では
東京タワーが映し出される
東京タワーが過去(昔)の象徴としたら
主人公の彼が生きるスカイツリーの見える街は現代(今)の象徴
九州という彼の過去に戻るシーンに的確な
監督として上手な仕事ぶりを感じた、、、
3.5☺
演者と演者が向き合うカットが多かった
人と人が向き合う映画だからね
※本文中の「橋爪、長澤、中野」は、橋爪功、長澤まさみ、仲野太賀です。