映画っていうのは
大河ドラマ、歴史ものでなければ
1つの大きなストーリー(人生の断片)を軸に幾つかのエピソードで連ねる
寅さんやB級プログラムピクチャーのような
80~90分ほどの尺が理想と思える
ところが
この映画<痴人の愛>のサマセットモームの原作(原作は「人間の絆」)は
長編だそうだ、それでありながら
その映画化では90分ほどでまとめている
短くていいのはいいのだが
これでは物語を詰め込んで原作のあらすじを紹介したっていう
ダメな映画化の典型になってしまうのだが、
それでも、
どうにかこの映画が駄作のレッテルを貼られずに済むのは
やはりベティデイビスの力によるところが大きい
以下、Wikiによる解説
当初、この作品が映画化されるに当たり、ヒロインのなり手が全くなかった。モームの自伝的小説とも言える『人間の絆』のヒロインであるミルドレッドは、それまでの英米文学で描かれることの無かった人物であり、史上最低最悪のヒロインと呼ばれたほどの悪辣な女性像であった。スターシステム全盛期に、自分のイメージを悪くするような役を演じたがる女優が居るはずもなく、ヒロイン探しは難航したが、当時ワーナーに所属していたデイヴィスが、可もなく不可もない、便利使いの適当なヒロイン役に飽きたらず、これを転機と見定め、自らミルドレッド役に志願した。しかし、専属契約をしていたワーナーは、当時、他社であるRKOの作品への出演を認めず、デイヴィスはこれに対抗し自らの鉄の意思を貫いた。ミルドレッド役を手にした彼女にとって、もうひとつ幸運だったのは、モームの分身を演じる共演者が英国の名優で監督でもある大スター、レスリーハワードだったことである。非常に洗練されたハワードが相方に廻ったことにより、デイヴィスは一層引き立てられ、演技に開眼したと言っても過言ではない。『痴人の愛』が全米で公開されるや否や、デイヴィスの憎らしいまでの強烈な存在感と悪女ぶりが大評判となり、批評家や評論家も彼女を激賞した。ただし、彼女にとって不運だったことは、当時のアカデミー賞のシステムにもよるが、他社の映画で大評判を取ったことである。これに気分を害したワーナーのボス、ジャックワーナーが露骨に、かつ意図的に彼女を締め出しにかかり、デイヴィスはオスカーにノミネートされなかった。これに怒ったのはデイヴィスでもワーナーでもなく、RKOでもなかった。当時の多くの新聞のコラムで疑問が呈され、ファンや評論家が抗議したのである。俳優仲間では親友のジョーンブロンデルと彼女の当時の夫で人気スターのディックパウエルらが率先して、抗議のアピールをした。アカデミーの事務局には、電話や電報による抗議が殺到し、収拾がつかない程の事態に陥り、デモ隊までが登場。抗議集会が開かれる寸前の所、ノミネーション発表9日目にして、どのカテゴリーもノミネーションに関係なく、誰に投票しても構わないという書き込み式の緊急措置がとられ、アカデミー会員側に通達する羽目になったのである。しかし、デイヴィスはオスカーを受賞することはなかった。これは後に「オスカー史上の最も大きな過ち」と呼ばれ、今なおアカデミーの長い歴史を振り返る上で、忘れ去られることの無い、語り継がれるほど有名な話である。
翌年に『青春の抗議』によってアカデミー賞主演女優賞を獲得するも、本人は不本意であった。それは前年受賞できなかったことに対する「同情的な埋め合わせのオスカー」であったことは明白であり、「今年は私ではなく『乙女よ嘆くな』のキャサリン・ヘプバーンが本当の受賞者」と率直に語った。
そりゃね、
名作文学の映画化だから、物語は面白い
なんでこんなに優しく真面目で誠実で
しかもハンサムで金持ちな男なのに
この女はひどい仕打ちばかりするのか不思議でならないが
『女とは不思議なものだ』と取り敢えずは勝手に納得して
この女の一挙手一投足を追う
男の愛を利用しては何度も行方をくらまし、
困ると再び男の前に現れ、助けを乞う
そんなことを何年にもわたって繰り返す女
やはり悪女ものは面白い
(あえてファムファタールものとは言わない、何故なら主人公の男は破滅せずハッピーエンドが待っているから)
とうとう男は
「オマエの顔を見るとヘドが出る」と吐き捨てる
するとベティの顔が豹変
百倍返しでまくしたてる
ここここここ、ここのシーンが好きなのさぁ~
最初は、こんな感じに瞳をウルウルさせて見つめてきた
しかし、男から思いも寄らぬ罵声を浴びせられて顔つきかわる
ベティデイビスでなければ
ただの詰め込みすぎの駆け足の原作あらすじモノになっていたかも、、、
行っちゃいけない方向に行っちゃうのが男、、、それでも何度も裏切られても行っちゃうバカ、、、最後は悪女とは正反対の女性に救われ、、、HAPPYENDING
こんな綺麗な女優さん(フランシスディ)知らなかった、、、