今回が1000回目の記事になる
1000回目にはコレを書こうと決めていた
ミリオンダラーベイビー
こういうモノクロのような画づくり
逆光の画は
優れた映画だからこそ
「たふえいんといなあふ」私のブログのタイトル
私の会社のミーティングルームの壁には
無造作に『Tough Ain't Enough』と書かれている
(書かれているというか、私が書いたのだが)
この言葉を聞いてピンときた人がいたら嬉しい、すごく嬉しい
この言葉を私が壁に書いた後
誰か尋ねてこないかワクワク待った
もちろん私の気が狂ったのではないかと思った人もいるかも知れないが
それでも何人かが「コレなんですか?」 「どういう意味ですか?」と尋ねてきた
私は唇元を緩めながら、こう答えた「映画好き?」
たいがい誰もが好きと答える
「じゃー、ミリオンダラーベイビー観た?」
数名は観たと答えたが
この言葉の意味は分らないようだ(ちゃんと映画を観なさい!)
この言葉を意識しないと、この映画を理解したことにならないのだ!
<ミリオンダラーズベイビー>の冒頭の廊下のシーン
プロボクサー志望の主役の女の子が
元ボクサーのクリントイーストウッドに直訴する
「チャンピオンになりたいの、私のトレーナーになって!私はタフよ、それだけは誰にも負けない!」と自分を売り込む
すかさずイーストウッドは言い放つ
「Tough Ain't Enough!(タフなだけじゃダメなんだ!)」
この言葉は、上を目指す者に対して共通したアドバイスになるだろう
頂点を目指す者なら、タフなのは当然なのだ
身体と精神のタフさ以外に、協力者や理解者も必要であるし、タイミングやチャンス、そして運も必要なのだ
クリントイーストウッドは
今までタフだが上に昇り切れなかった人間を嫌と言うほど見てきたのだろう
そして自分自身も身をもってその意味を知っているのだ
その言葉には重みがある
この言葉の意味は他に言い換えることもできる
『頭がイイだけでは成功しないんだ、協力者の支えがなければ』
『センスがイイだけでは認めてもらえないんだ、バイタリティがなければ』
『強いだけではダメなんだ、心も優しくなければ尊敬されないんだ』
『美しいだけでは幸せにはなれないんだ、運がなければ、、、』
頭が良くても、強くても、綺麗でも、それだけではダメなのだ
人生には予期せぬ色々なことが起きるから
自分ではどうにもできない要素もあるのだ
それが縁だったり運だったりするのだ
それはこの物語を観た人なら理解できると思う
主役の女の子は、夢に手が届きそうになったその瞬間にすべてを失った
勝者と敗者は『力』だけでは決めきれないのだ
リングの上の戦いと同様に、人生というリングが全ての人に用意されている
映画の終盤
イーストウッドのジムの事務所内をカメラが右から左へとゆっくりパンする
すると、壁に手書きのペンキの文字が見える
「Tough ain't enough」
やはり、この映画でイーストウッドの伝えたいことはコレなのだね
このシーンを見た瞬間
映画館を出たら、会社の事務所に行って
ボクは会社の壁にこの言葉を書こうと決めた
私は
この言葉を重く受け止めた
強く生きよう、でも謙虚に生きようと、、、
PS
イーストウッドは神について語らない
ベルイマンは語る
でも
本質が同じと思うのだ
望んでも得られないものがある、、、のだ
PS
公開当時
観に行ったという会社の若い奴に訊ねたことがある
「ミリオンダラーベイビーどうだった?」
すると「あまり面白くなかった」という
理由は「ロッキーみたいじゃないから」
クリントイーストウッドは
ロッキーみたいな映画を撮らないよね、、、
イーストウッドは「表と裏」を見せる監督
この映画は頂点を掴もうとするまでと
ああいうことになってからの「表/裏」を描く
まさにイーストウッド映画
PS
ちなみに「たふえいんといなあふ不思議な魔法の言葉」の
「不思議な魔法な言葉」には意味がない
キャッチーな感じにするために付けただけ、、、
PS
ちなみに
この言葉を聞いてレイモンドチャンドラーの名言が
頭に浮かんだ人も多いと思うが
あちらのセリフは
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格がない」
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive
「tough ain't enogh」の文字は見当たらない