「オレが死ぬか、オマエがディレクターになるのが先か」
父の反対を受けての就職の条件
その不利なレースは
同着のようでもあったが
ボクは父に「自分もゴールした」ことを告げなかった
翌日
会社の上司に退職の希望を伝えると
「いいところまで来たのに、なんで?もったいない」と言われた
20代の後半
自分の夢を棄て新しい道をいった
そして、父はその後ある日の朝
病院の深い洗面器一杯の血を吐いた後
ボクを電話で呼び
「オレは今日死ぬ」と言い
そのとおり、その日、この世を去った
※映画と本文は関わりがありません
ボクの仕事は
映画、CM、テレビ、映像、芸能に関わる仕事だ
ディレクターや監督を目指すものではないが
その現場にかかわる仕事にいる
しかしこの業界
とくに映画の世界では
非常識な連中が多く
金にまつわるトラブルはいくらでもある
日本の映画界はメジャーの映画会社が直接制作するのではなく
そのほとんどが独立したプロダクション(映画制作会社)によって制作される
だから製作費が最初から映画会社から出資されていると限らない
あの優秀な監督、竹中直人が
映画を撮らなくなってしまったのも金の失敗からだ
可哀想だし、日本映画界の損失だ
そして月日が経ち
20年以上たった頃
「そのこと」が、
再び交差することになるとは
思いもよらなかった
それは、知り合いの助監督の一本の電話だった
「○○監督を知ってますか?」という話しから入ってきた
その監督は
その時点ではかなり注目されていた監督で
映画が好きな人なら
その監督の代表作の2、3本は知っているはずだ
「あ、仕事はしたことないけど、知ってるよ」と答えると
「映画作ることになったので協力してくださいよ」と言われたので
「金だけちゃんとしてくれるなら、監督が誰かどうかはどうでもいいことよ」と返事をする
しかし50日間ほどにわたる撮影も終わったが
いっこうに金が払われない
そして、金は払わないくせに豪勢な打ち上げはやりやがる
そうそうたる顔ぶれの出演者が打ち上げに顔を出していたが
その会場でもこの映画の「金」に関する噂が聴こえてきた
会場で顏をあわせた知人の撮影機材会社の人に訊ねると
「ここはヤバイみたいだよ、うちは前金と中間で2/3は回収してるからいいけど、取りっぱくれてるスタッフや業者が大勢だよ」
そうか、うちもそのうちの一つだ、、、
再三しつこくプロデューサーに催促し、
あるときは脅しをかけながら催促し
とりあえず1/3は回収したが
完済してもらわなくてはボクは引き下がらない
そんなに物分りは良くないのだ
最初に声をかけてきた助監に電話をすると
「みなさんに迷惑をかけているようで、すみません、でもボクも一銭もギャラはもらってません、出演者の皆さんもノーギャラです」
「だからって、うちは諦めないよ、どこまでも追うからね」
と
言っているすきに
プロデューサーも
実質的な長である監督も消えた
調べていくと映画の版権は既に他のプロデューサーに移り
そのプロデューサーとコンタクトをとれた頃には
権利は他のプロデューサーに移っているような始末で
1年以上も経った頃に
次のプロデューサーに権利が移ったことを知る
何者から何者へ権利は移りゆく、、、
そして
この新たな権利者であるプロデューサーの名を知り
ボクは思った
『これが最後のチャンスだ、これを逃したら金を回収することはできない』と、、、