「オレが死ぬか、オマエがディレクターになるのが先か」
父の反対を受けての就職の条件
その不利なレースは
同着のようでもあったが
ボクは父に「自分もゴールした」ことを告げなかった
翌日
会社の上司に退職の希望を伝えると
「いいところまで来たのに、なんで?もったいない」と言われた
20代の後半
自分の夢を棄て新しい道をいった
そして、父はその後ある日の朝
病院の深い洗面器一杯の血を吐いた後
ボクを電話で呼び
「オレは今日死ぬ」と言い
そのとおり、その日、この世を去った
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/toughy/20190816/20190816232009.jpg)
※映画と本文は関わりがありません
ボクの仕事は
映画、CM、テレビ、映像、芸能に関わる仕事だ
ディレクターや監督を目指すものではないが
その現場にかかわる仕事にいる
しかしこの業界
とくに映画の世界では
非常識な連中が多く
金にまつわるトラブルはいくらでもある
日本の映画界はメジャーの映画会社が直接制作するのではなく
そのほとんどが独立したプロダクション(映画制作会社)によって制作される
だから製作費が最初から映画会社から出資されていると限らない
あの優秀な監督、竹中直人が
映画を撮らなくなってしまったのも金の失敗からだ
可哀想だし、日本映画界の損失だ
そして月日が経ち
20年以上たった頃
「そのこと」が、
再び交差することになるとは
思いもよらなかった
それは、知り合いの助監督の一本の電話だった
「○○監督を知ってますか?」という話しから入ってきた
その監督は
その時点ではかなり注目されていた監督で
映画が好きな人なら
その監督の代表作の2、3本は知っているはずだ
「あ、仕事はしたことないけど、知ってるよ」と答えると
「映画作ることになったので協力してくださいよ」と言われたので
「金だけちゃんとしてくれるなら、監督が誰かどうかはどうでもいいことよ」と返事をする
しかし50日間ほどにわたる撮影も終わったが
いっこうに金が払われない
そして、金は払わないくせに豪勢な打ち上げはやりやがる
そうそうたる顔ぶれの出演者が打ち上げに顔を出していたが
その会場でもこの映画の「金」に関する噂が聴こえてきた
会場で顏をあわせた知人の撮影機材会社の人に訊ねると
「ここはヤバイみたいだよ、うちは前金と中間で2/3は回収してるからいいけど、取りっぱくれてるスタッフや業者が大勢だよ」
そうか、うちもそのうちの一つだ、、、
再三しつこくプロデューサーに催促し、
あるときは脅しをかけながら催促し
とりあえず1/3は回収したが
完済してもらわなくてはボクは引き下がらない
そんなに物分りは良くないのだ
最初に声をかけてきた助監に電話をすると
「みなさんに迷惑をかけているようで、すみません、でもボクも一銭もギャラはもらってません、出演者の皆さんもノーギャラです」
「だからって、うちは諦めないよ、どこまでも追うからね」
と
言っているすきに
プロデューサーも
実質的な長である監督も消えた
調べていくと映画の版権は既に他のプロデューサーに移り
そのプロデューサーとコンタクトをとれた頃には
権利は他のプロデューサーに移っているような始末で
1年以上も経った頃に
次のプロデューサーに権利が移ったことを知る
何者から何者へ権利は移りゆく、、、
そして
この新たな権利者であるプロデューサーの名を知り
ボクは思った
『これが最後のチャンスだ、これを逃したら金を回収することはできない』と、、、