「深海魚が上がってくるとき、それはゴジラが現れる前触れ」それを言っちゃあいけないのよ、またセリフで説明しちゃっている、、、プロの監督なら沢山映画観て学んでほしい、こういうことじゃモーションピクチャーとは言えないんだよ、何も山崎に限ったことではなく同じことは新海にも言いたいけど、セリフで逃げるな!
たとえばお手本となる優れた監督はヒッチコック、ならば<鳥>を例に出せば、カラスが徐々に増えていく、カットを重ねていく、観客の不安感を生み出す、そういう演出そういう脚本、それが映画的ということ、、、「今日はやけにカラスが多いわね」「またカラスが増えたわね」「だんだん怖くなってきた」なんてセリフは被せてないよね、セリフではなくショットの積み重ねで観客の感情や心理を揺さぶる、それが優れた監督であり、モーションピクチャーというものだ、、、
そうは言っても、米国では大ヒットしているらしい、こんな日本の湿っぽいストーリーでも受けるんだね、実際に劇場ではラストで泣いている観客を多く見かけた、、、そんなまだまだ未熟な山崎でもいよいよハリウッドに呼ばれることになるんだろうなぁ、、、日本の小さなバジェットでこれだけの大きなリターンが生めることにも興味を持たれているようだ、、、
ラストは<永遠の0>の裏返しというか、もう一つのラストとでも言おうか、監督としてはこっちのパターンも撮っておきたかったんだろうなぁと思わせる、途中でオチは分かってしまったけど、、、
PTSD、、、主人公が銃を撃てないのは性的な機能不全を暗に表しているんだろうね、結婚を言い出せないのもそういう理由があるんだろうね、、、昼間家にいる独り者の未亡人安藤サクラはパンパンかもしれない、怪しい商売に手を染めてそれでも女ひとり逞しく生きているドラマであってほしい、、、そういったことをストレートに表現していないが、ここはやはり苦闘から逃れるために主人公がヒロポンに手を出すといったストーリー展開にしてほしかったぁ、、、ま、しょせん怪獣映画とはいえ、大人の鑑賞が前提にあるのだから日本バージョンでならそこまでやった方が作品としての厚みが出たと思うよ、、、