たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/海辺の一日_That days ,on the beach

 

ウォンカーウァイと仕事を始める前に、台湾で初めて長編を撮影したクリストファードイルのエドワードヤン作品、、、そのエドワードヤンも長編はこの作品が初監督で、両巨頭にとっての初作品が本作だったわけだ、、、そして二人とも初作品にして既にキャリアのピークを迎えているようなクオリティの高さ、、、時系列はめちゃくちゃなのに、まったく困惑せずに観られるほど分かりやすい、それは主人公のヘアスタイルを時代ごとに変えているからだけではなくエドワードヤンの本来の語りの巧さが初監督作品から発揮されているからだ、、、ドイルにしてもその後のエドワード作品に継承される下地造りをしているかのように瑞々しく、画像でも分かるように、奥行きのある画、逆光の美しさ、ソフトな光の当て方、潰れない黒、多用されるローポジ、的確な構図、、、

 

畳、浴衣、障子、徳利、縁側、日本的な前の世代の景色、、、そしてその中に身を置く若い世代の葛藤、家族との距離感、、、あの時ああしておけば良かった、あんなことしなければ良かった、家族に対しても、恋人に対しても、友人に対しても、学校でも、職場でも、そんなこと誰にでもあること、後悔、、、

 

「世界は私たちを置き去りにした」

 

映画を鑑賞するにあたって大切なもの、それは読解力、ずっとそう思っていた、、、ところが蓮實御大は「すべてのカットを隅々まで隈なく見る眼だ」と言った、見て感じる、考える、それであっての読解力だ、それが出来ない人は映画の本質を見抜けない、、、キャメラ、ライティング、音楽(SE)、ストーリー、演者のセリフ、動き(目の方向、動き)、フレームの中に映っている全ての物(小道具、大道具、セット、ロケーション、衣装、メイク)、1カットの一瞬一瞬を見逃さず隅々まで見届ける力が備わっていないと映画を真の意味で読み解けない、、、そういう意味ではエドワードヤンでありクリストファードイルであり、いきなり初めての作品から全てを知り尽くしているような仕事ぶりだ、、、

 

あの主人公のヘアスタイルのパーマを見ると70年代を思い出す、とくに内藤やす子を思い出すなぁ、、、映画とはまったく関係ないけど内藤やす子、今どうしているんだろ、、、