スマート映画ブロガーhisaさんが<洲崎パラダイス_赤信号>を取り上げているのを見て、ひさしぶりに無性に観たくなった、大好きな映画だ、これで4回目か5回目の鑑賞になる、それでも何度観ても「いい」と確認するばかりだ、、、川島雄三監督、助監督には今村昌平、今村はしっかりと川島から「重喜劇」を受け継いだ、そして汗を感じる画の作り、この映画の中でも新珠と三橋の床のシーンでキャメラが二人にぐっと寄るあたりは丸で今村のようだ、というか、今村が川島のようなのだが、、、
映画の冒頭、主人公の男女が勝鬨橋の上で途方に暮れている、今夜の寝床も当てがないのだ、ヒモのような男は女の尻を追いかけるだけ、飛び乗ったバスの行方は「洲崎」の橋のたもと、ここから「中」へ進めば女郎街、勝鬨のような都会の中の橋とは違うのだ、主人公は果たして「外」に踏みとどまれるか?というお話し、、、そして群像劇が繰り広げられる、登場人物すべての役者がいい、もちろん主人公の新珠も三橋もいい、新珠の夜の女上がりを彷彿させる所作がいい、「中」から抜け出していても人はその振る舞いの形に出るものだ、、、
そして全シーン全カットの画がいい、普段の川島なら突然突飛なこともやらかしそうだが、ここでは冷静にオーソドックに物語をさばいて進行させていく、、、そしてラスト、二人はまた勝鬨の橋の上で途方に暮れる、、、バタバタ色々あった群像劇も全ての登場人物が丸で何もなかったかのように元の鞘に収まり幕引き、、、
途中、ネズミ捕りに窮屈に入れられた子猫のシーンがある、物語と何のつながりもない場面だが監督はこのシーンを加えることを選択したんだね、監督はこれは物語に何も関係しないが必要と思ったのだ、、、猫は自由のメタファー、もしくは孤独、社会に溶け込めない存在、女性であったりもするだろう、子供たちに言う母親「放しておやり可哀想だろ」自分の夫も女と駆け落ちして家を出たのだが、何年振りかに戻った夫に文句の一つも言わず家に招く、もちろん主人公の男女も二人でいても孤独なのだ、、、
P.S.
ちなみに洲崎は吉原とは違い、客筋が肉体労働者などブルーカラー層だったそうだ、だから吉原を舞台にするより汗臭ささ人間臭さをより一層感じる、、、そういえば主人公の三橋の役柄、労働に関しては全く汗をかかないのだが、女を探して右往左往ときに駆け出し、さすらい彷徨う時だけ汗をかいている、この男にとっては働くことより女が必要なのだ、きっとそれはこれからも変わらないだろうと観客にも女にも予感させて映画は終わる、、、
それにしても、芦川いづみは可愛いなぁ、、、