たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想&埋もれがちな傑作/WANDA/ワンダ

 

エリアカザンの妻のデビュー作にして遺作で、世界の映画人たちが愛する伝説の映画、日本では長らく観ることが出来なかったまさに埋もれた傑作、ついに半世紀以上の時を経て日本初公開!つねに映画史上の上位にランキングされ、日本のシネフィル連中が夢にまで見た日本公開が実現したのだから、観に行かないわけがない、、、

 

あらすじ

無気力で自分の意思を表に出さない主人公の女、夫にいわれるまま離婚を承諾し、子供を取られ、金がないのでバーで知り合う男にすがるが捨てられる、こんど会った男は銀行強盗だったが、いやいやながら強盗に付き合わされるはめに、、、

 

16から35にブローアップされた荒れた画調はレストアしながらも低予算映画の風味を損なわないようにアジャストされた、まるでポラロイド写真の一葉のようだ、、、

 

観終わった印象は「とてもピュアな映画」作り手バーバラローデンの心がそのまま何の姑息なテクニックも考えずにフィルムに反映された一本、、、、のちの女性監督たちやインデペンデント映画に多大な影響を与えた映画史上にとても重要なエポックメイキングな作品、、、

 

誰からも褒められることがない女、自分の意思を明らかにできない女、結果男に従属することになる女、ビンタされてもやり返せない女、、、当時のウーマンリヴ全盛時代にこんな愚かな女性は許されなかっただろう、案の定フェミニスト団体から厳しい抗議を受けたらしいが、撮っている本人が女性だからね、それに、個人の感情や想いを他人が封じ込めようとする行為に及ぶのは恐ろしいことだよ、、、、

 

「欲しないと何も得られないぞ、『無』だぞ」、、、いつも威圧的な男が女にそう云う、そして終盤男は一度だけ女を褒める、そのときの女の表情がこの映画の全てだろう、、、そしてラストの抵抗につながり、しかし結局戻るところに戻ってしまう女だが、きっとハートは今までそれとは違うはずだ、、、

 

4☺

 

『 WANDA/ワンダ 』(原題: Wanda )は、 1970年 制作の アメリカ合衆国 の クライム映画 。 アメリカの底辺社会に取り残され崖っぷちをさまよう女性の姿を切実に描き、1970年代のアメリカにおける インディペンデント映画 の道筋を開いたとされる作品。 監督・主演を務めたバーバラ・ローデンの当時の夫だった エリア・カザン が製作協力している 。

本作は1970年の第31回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀外国映画賞を受賞し[6]、1971年の第24回カンヌ国際映画祭アメリカ映画として唯一上映された[6]にも関わらず、当時アメリカ本国ではほぼ黙殺された。

しかし後年、マーティン・スコセッシなど世界の名だたる映画作家やアーティストから「失われた傑作」と称賛されるようになり、2010年にスコセッシが運営するザ・フィルム・ファウンデーショングッチの支援によってプリントが修復された[7][8]。2017年に、「文化的、歴史的、または審美的に重要」と後世に残す価値がある映画として、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録された[9]。(以上、Wikipediaより)

 

バーバラ・ローデン監督・脚本・主演の“失われた傑作”「ワンダ」7月に公開(動画あり) - 映画ナタリー (natalie.mu)

 

バーバラローデンが監督、脚本、主演を兼任した本作はアメリカ・ペンシルベニア州を舞台に、夫に離別され、子供も職も失い、有り金もすられた女性・ワンダを描くロードムービー。薄暗いバーで傲慢な男と知り合った彼女は、いつの間にか犯罪の共犯者として逃避行を続けるようになる。(natalis.muより)

 

48歳で世を去ったバーバラ・ローデン監督の遺作『WANDA/ワンダ』日本初劇場公開 スコセッシら映画人に愛され「小さな宝石」と称される一作 - WEEKEND CINEMA (weekend-cinema.com)

 

監督・脚本・主演のバーバラ・ローデンは生まれ故郷ノースカロライナ州での虐待を受けた子供時代から逃れ、16 歳でニューヨークに移り住んだ。ダンサーやピンナップモデルを経て女優になった彼女は社会派の巨匠エリア・カザン監督の映画『草原の輝き』(61)に出演。1964 年、カザンの演出でアーサー・ミラーの戯曲「アフター・ザ・フォール」でトニー賞の主演女優賞を受賞。カザンはローデンの演技を「彼女のやっていることには、常に即興の要素、驚きがあった。私の知る限り、そんな役者は若い頃のマーロン・ブランドだけだった」と賞賛。その後ローデンは、カザンと二度目となる結婚をする。

長年、女性らしさに縛られ、女性らしさを売り物にしてきたローデンは、30 歳を過ぎた頃、自分のアイデンティティや目標を見出せない従順な女性像に疑問を持つ。本作『WANDA/ワンダ』の製作は、すなわち彼女の独立宣言。「エリア・カザンの妻」と呼ばれることから、他人に書かれた役を演じることから、彼女自身が逃れてきた生き方を実証しているのが本作。彼女は1980 年、乳がんにより 48 歳の短い生涯を終える。

フランスの偉大な小説家・監督のマルグリット・デュラスはこの映画を「奇跡」と称賛し、ローデンの演技を「神聖で、力強く、暴力的で、深遠だ」と驚嘆する。本作を公開するためなら何を差し出してもいいと褒めたたえる彼女は、「本作をいつか配給することを夢見ている」と映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』で語った。その後も、ローデンが監督した唯一の本作は同世代の女優や映画監督たちに多大な影響を与え続けながらも、長い間、観ることの出来ない伝説的作品として認知される。

カンヌ映画祭常連のダルデンヌ監督兄弟、親交の深かったジョン・レノンオノ・ヨーコ、カルト映画の巨匠ジョン・ウォーターズ、現代アメリカ映画の最重要作家ケリー・ライカート、ガーリーカルチャーの旗手ソフィア・コッポラなど、世界の名だたる映画作家やアーティストが口々に尊敬の念を込めて「失われた傑作」と評価し、ローデンを不世出の作家として敬意を表する。

「私は洗練された映画が大嫌いなの」と言い放つローデンの荒削りな美学で骨の髄まで削ぎ落とされた本作には、その後の数多くのインディペンデント映画で用いられるスタイルが見て取れる。常に動いているカメラワーク、無名のロケーション、奇抜さや奇妙なキャラクターを求める姿勢など、このスタイルを駆使した最初の女性監督による映画だ。

“インディペンデント映画の父”と称されるジョン・カサヴェテスは「『WANDA/ワンダ』は私のお気に入りの作品だ。ローデンは正真正銘の映画作家だ」と高く評価した。

2003 年、フランスの大女優イザベル・ユペールはデュラスの意思を引き継ぐかのように、映画の配給権を買い取りこの幻の映画をフランスで甦らせる。2007 年、本作の運命は大きく変わった。閉鎖前のハリウッド・フィルム&ビデオ・ラボの書庫を訪れた UCLA フィルム&テレビジョン・アーカイブの修復師が、放置されていたオリジナルのネガ・フィルムを発見し、破壊から救い出したのだ。

2010 年には、マーティン・スコセッシ監督が設立した映画保存運営組織ザ・フィルム・ファウンデーションとイタリアのファッションブランド GUCCI の支援を受け、プリントが修復される。この修復版は、ニューヨーク近代美術館で上映され行列が出来るほど大成功を収める。本作の熱烈な支持者であると言うソフィア・コッポラ監督が自ら紹介、観客の中にはマドンナの姿もあったという。同年、ヴェネツィア国際映画祭で再び上映された。2011年には、BFI ロンドン映画祭やロサンゼルスの保存映画祭でも上映される。2012 年、フランスの作家ナタリー・レジェが「バーバラ・ローデンのための組曲」を出版、英訳もされローデンの評価はいっそう高まった。

そして 2017 年、「文化的、歴史的、または審美的に重要」と後世に残す価値がある映画として『スーパーマン』(78)、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)、『タイタニック』(97)などと共に認められ、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録される。時間が経つにつれて貴重な作品として認識された本作は、アメリカ映画の公式な歴史にはほとんど登場しない。だが、ニュー・ハリウッド時代の金字塔、アメリカ・インディペンデント映画の代表作として、世界の名だたる映画人やアーティストたちに愛されている。(weekendcinema.comより)

 

「WANDA/ワンダ」

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