たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

カハラ、、、Rest In Peace(安らかにお休み)-4

 

6月24日

その日、妻が一時間だけ外出するというのでボクが代わりにカハラの子守をした。弱弱しいながらもまだその時は歩けていて、トイレを済ませてボクの寝ているベッドに来るとジャンプして飛び乗ってきたのでいつもと変わらぬその元気さに驚いた。暫くしてこんどは水を飲みに行こうとしたのかベッドから3段のステップをいつものように軽快に降りようとした際、2段目に足を滑らせ身体から落ちた。「落ちちゃった」とでも言いたげな表情でボクの方を振り返ってから再び立ち上がろうとしたカハラの身体がふらつきまた倒れた。まるで生まれたばかりの仔馬が初めて立ち上がろうとする瞬間のようだった。仔馬はその後立ち上がるだろうが、カハラはそれ以来自力で立ち上がることができなくなった。一瞬骨折を疑ったがそうでもないようだ。抱え上げると右半身が麻痺して硬直している、上から見て背骨のラインが右方向に極端にL字のように曲がっている。そして頭も右側に曲がってひきつっている。野生ならば立ち上がれない動物は「死」を意味する。ボクはカハラをもうすぐ失うだろうと悟りカハラを抱えたまま大粒の涙が流した。妻が帰宅する気配を感じカハラを抱えたまま玄関に向かい、妻の顔を見た瞬間「もうダメだ、終わりだ」と叫んで泣いた。そのとき妻の表情がどうだったかは涙で確認できなかったが、冷静な声で「どうしたの?」と訊ねた。「もう歩けないんだよ!自力で立ち上がれないんだ!下半身が麻痺して、上半身がL字に曲がって硬直しているんだ!もうダメだ、死んじゃうぞ!」うえーーーーん

 

それから三日間目を離さずカハラを見守った。人なら延命できる色々な手段があるが、東大の先生もホームドクターも「私たちに出来ることはない」と云っていた。

 

信頼していた鍼の先生のところには何故か行こうとは思わなかった。どうにかするより、その時を待つことに決めたのだ。体を補うエネルギーは水だけしか補給していない。しかし、その水さえも飲まなくなった、いや飲めないのだ。水を口元に近づけても舌の出し方を忘れてしまったように苦戦している、頭が左右に揺れて一定せず顔を水に突っ込んでしまう、水をすくって口元に押し付けて安定するように頭を押さえどうにか舌が出て水をわずかにすくった。そんな状況でも下半身が麻痺して腰が落ちて後ろ足は立ち上がらず、前足は右半身が安定せずヨタヨタ身体が揺れる、それでもトイレに行こうとする、「まだ出来るよ」とアピールするように匍匐(ほふく)前進でトイレまでたどり着く、「まだ一緒にいたいから」と頑張っているように思えるがオムツを履かせることにした。

 

安楽死」に関しては日米の考え方の違いを感じる。たとえば米国映画の<マリー世界一お馬鹿な犬>では安楽死を選択する。それを見てとてもクールだなぁドライだなぁと感じた。一方日本映画の<犬と私の10の約束>では苦しみながらも最後息を引き取るまで安楽死など選択肢にも上がらず見届ける。日本人らしいウェットさを感じるが、「可哀想だから」本当に可哀想なのはどっちだろう?ボクは今まで「安楽死肯定派」だった。苦しんでいる犬を見守り続ける日本人を残酷だと感じていた。安楽死は「殺すこと」ではなく「痛みや苦しみから救うこと」と考えていた。ところが実際の局面に立つと気持ちが変わった。ぎゃくに「安楽死否定派」だった妻は可哀想の意味を反対に置き代え肯定を始めた。ボクは意識がなくなったら仕方ないし延命に対しては否定的だが、ボクらと「別れたくない」「また元に戻れる」「すこしでも一緒にいたい」と思って必死に頑張っているとしたら、簡単にその意志を断つことはできないと考えるようになった。人間にはこの勝負がカハラの負けと知っていても、カハラ本人はこの状況に勝とうと戦っているように思えるのだ。「何も悪いことをしていないのに何でこんな痛みや苦しみを与えるのだろう」もしも神様がいるならそんなことをするわけがない。最終的に勝つ見込みのない勝負に「家族と別れたくないから」と必死に耐えて生きようとしているカハラの姿を見ると、人間の都合で『見てられないから』と幕を引いてしまってよいのだろうか?

 

ところが動物の生命力は凄い。毎日カハラを見守って何度も「もうダメだ、もう死ぬ」と次の呼吸が途絶える瞬間を想像したがそのたびカハラは踏みとどまった。ほとんど寝ずに毎晩カハラを見守る。寝ても1時間うつらうつらとそしてまた起きる。ボクの体重も減っていく。でもカハラは5.3キロあった体重が4.6キロになり4.2キロになりとうとう3.4キロまで落ちた。60キロの人間の女性なら38キロになってしまったような感じだ。だから意識がなくなったら兎も角まだ頑張ってるカハラに手を下せない。そして、ある意味この日々は濃厚濃密な時間だった。

 

食べない(食べれない)、飲まない(飲めない)、眠らない(眠れない)、そんなカハラを見ていると、こっちも食欲が沸かない、食べても味がしない。そんな日々が続いた。そして妻と次男、そして妻の友人やボクの弟は「安楽死」を勧めた。言っていることは全く理解できるが、勝負をしている途中のカハラを断つ決断に躊躇した。ときどき落ち着いて寝ている姿を見ると尚更だ。しかし、ほとんどの時間を辛そうに呼吸している。それを見ているボクは何て残酷なのだろう。カハラには決められない。カハラの責任者としてボクが決めなくてはいけないのだ。

 

6月28日

点滴を打ってもらうためにホームドクターを訪ねた帰り道、妻とボクとカハラは公園に寄った。夜の公園で風を感じて涼んだ。こんなことは普段なら日常的な事だが、これがカハラと最後の公園になるとはこの時は想像しなかった。

 

6月29日

もともと予約を取っていた東大に行く日だ。もう行っても意味がないとも思い、キャンセルすら考えていたが、「安楽死」について訊ねてみたかった。ホームドクターも鍼の先生も緊急で行った医者もどこも「安楽死」を否定していたのだ。ところが東大の担当医は一通りの検査をした後、ボクが安楽死について訊ねる前にこう云った。「かなりガンが拡がっています。今の状態を見る限りかなり苦しんでいると思います」そしてボクが訊ねた「それでもまだ今日明日死ぬほどではないでしょ?」「今日明日は死なないかもしれませんが、二週間後に予約をとっても、その時までもってはいないと私は思います。その間死ぬまでは苦しみを排除できません。もしも私が飼っているなら安楽死を選びます」いったん部屋を出て車の中で妻と相談した。一度家に帰って夏休み中の次男と相談しようと。そして家に帰るとたまたま来ていた長男と次男に今の状態を伝えた。最近は家族全員が顔をそろえることも珍しい、もしかしたらカハラが家族全員を集合させたのかも知れない。そして全員の総意で「安楽死」を決めた。しかも少しでも早く苦しみから解放させるため今日を選び、ボクと妻は再びカハラを連れて東大に向かった。妻が抱っこバッグを首に下げるとカハラはシッポを振った。どこかに遊びに連れて行ってくれると思うのだ。まさかまた病院に向かい、命を断たれるとも知らずに。

 

さいごは色々と彷徨ったが、結局は東大の担当医の一言でこうなることを決めた。色々な思いもあったが今となってはこの先生には感謝したい気持だ。またその間に関わった全ての先生にも感謝したい。

 

カハラはボクの腕の中に抱き抱えられながら、手を握っている妻の目を大きなビー玉のような瞳で見つめ、「ねんねしな」「いい子だね、ねんねしな」とボクが声をかけると、限りなく透明に近い青い液体と恐ろしいほど白く濁った液体の体内への侵入によって瞳を開けたまま数十秒で息を引き取った。

 

カハラが天に向かったこの日の早朝、外の空気を当ててあげたく、まだ陽が差す前に抱えて一度だけ屋上に上がった。カハラが妻と毎日遊んだ場所だ。その時その場所は8ミリフィルムの映像のようなザラザラとした質感に感じたのは恐らくボクだけでなくカハラも同じだっただろう。やがてカハラはあの空からボクと妻を見守りながら、妻かボクが迎えに来るのを待つことになるのだろう。ボクはもう死ぬことは怖くない。待っているカハラに早く会いに行きたいくらいだ。13才の娘に先立たれた親なら恐らく同じよう気持ちになるだろう。

 

安楽死させた翌日、カハラを焼き場に連れて行った。13年前にメロン箱のような箱に入って我が家にやって来たカハラは、棺の代りの箱に再び入って我が家を出て天に召された。カハラ、お休み。うちに来てくれて、ありがとう。