たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/メキシコ万歳

 

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エイゼンシュティンの観客に突き付ける画は

いつでも重く深く胸に突き刺さる、、、

 

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当然無声映画だが

「映画に言葉はいらない」ことを

一番示してくれる(教えてくれる)のはエイゼンシュテインにほかならない

 

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さらにこの映画がカラーであったら

ルノワールの<黄金の馬車>や<河>に匹敵しただろうと惜しむ

 

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いくつかの章によって構成された映画

プロローグは、この映画の成り立ち

そしてその後に、メキシコの風景や日常を映した記録映画

そして、胸の苦しい物語が展開され

そして、エピローグとしての「死者の日」

 

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物語部分が悲しい

〈竜舌蘭〉プルゲを醸造する竜舌蘭の農場で働く農奴セバスチャンとフィアンセ、マリアの悲しい愛の物語。今世紀初頭、ポルフィリオ・ディアスの独裁時代。

 

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セバスチャンとマリアが農場主に結婚の報告に行ったところ、セバスチャンは農場主に会うことを許されず、マリアだけ通される、そこで贅沢に暮らす男どもはやらしい目つきで綺麗な娘マリアを品定めしている、そのうちの一人の男がマリアを部屋に引っ張り入れ犯す、それを聞いたセバスチャンが屋敷に踏み入るが返り討ちにあい、マリアは監禁される、、、復讐に燃えるセバスチャンと仲間の若者たち、、、まるでマカロニウエスタン、、、ハリウッド映画のように復讐を成し遂げハッピーエンドへ向かうはずもなく、、、

 

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音楽を作るとき

歌詞が先かメロディーが先か

曲によって成り立ちが違うだろう

 

映画も同じで

ストーリーに沿って

その設定と役者のやりとりに相応しい場所を探す場合もあるし

(むしろこれが圧倒的に多い)

 

反対に背景こそが先にあって

そこに演者を配置する場合もあるだろう

 

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この映画に関しては

メキシコという地を訪れた

エイゼンシュテインの目に焼き付いたロケーションがまず先にあって

役者やセリフはあとから生まれているように感じる

 

その背景がありきで

演者やセリフはあとから生まれたもの、、、

 

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できれば物語部分だけでも

シネフィルならば絶対に観ておくべき傑作だ、、、

 

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