ジャックタチの作品
昔、子供の頃に観たときは退屈だった
何が面白いのか、さっぱり笑えず
何が良いのか、さっぱり理解できなかった
でも
何十年のときを経て
<プレイタイム>を観たときの驚きは
ハンパなかった
こんな凄い映画まだあるんだね、、、
そして改めて
<ぼくの伯父さんの休暇>を鑑賞した
『ぼくの伯父さんの休暇』[編集]
長編第2作は『ぼくの伯父さんの休暇(Les Vacances de Monsieur Hulot)』(1953年・モノクロ映画)。ユロ氏がフランスの浜辺の高級リゾートに現れ、8月の優雅なバカンス地に大騒動を巻き起こす。ユロ氏を中心にコミカルなエピソードが次から次へと繰り広げられるが、ほとんどでサイレント映画のような視覚的ドタバタに終始している。サウンドトラックは英語版・フランス語版の2種類が作られたが、音楽とサウンド・エフェクトが多くを占めており、独特の音響センスに満ちている。この作品は米国のアカデミー賞オリジナル脚本賞にノミネートされ、また後のヌーヴェルヴァーグの批評家にも大絶賛された。
『ぼくの伯父さんの休暇』以降、のっぽで小さい帽子をかぶり、吸口の長いパイプを咥え、レインコートと寸足らずのズボンを着用した無口な主人公「ユロ氏」のキャラクターを確立させ、以後自作自演で映画に登場することになる。英国のローワン・アトキンソンのインタビューによると、「ミスター・ビーン」のキャラクターにも大いに影響を与えていたとのことである。
『ぼくの伯父さん』[編集]
長編第3作は『ぼくの伯父さん(Mon Oncle)』(1958年)。日本ではこちらの方が早く公開されたが、『ぼくの伯父さんの休暇』と直接の関係はない。パリの古い下町に住む「ぼくの伯父さん」ことユロ氏が、自動化されアメリカナイズされたモダンな住宅やプラスチック工場で悪戦苦闘するコメディである。この作品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、タチのモダニスト的な資質も注目された。
1959年、『ぼくの伯父さん』は米国第31回アカデミー賞外国語映画賞を受賞する。授賞式出席のため訪米する際、映画会社の人間から「(当時人気絶頂だった)ジェリー・ルイスとお会いになるおつもりがあるならば、(会談を)セットしますよ」と言われたが、タチは「ジェリー・ルイスと会う必要は感じません。もし会えるなら私はむしろマック・セネットと会いたいです」と返答した。当時、養老院で最晩年を送っていたマック・セネットはこれを聞いて大いに喜び、タチが深く愛したサイレント喜劇映画時代の仲間を呼び集め、タチを迎えて親しく歓談したという。その席に招かれた無声喜劇映画の巨星たちとは、すなわちバスター・キートン、ハロルド・ロイド、そしてスタン・ローレル(オリヴァー・ハーディは1957年に死去)のことである。
アカデミー賞受賞時には、これら無声喜劇映画のスターたちを念頭に「If Hollywood had not done so many funny pictures, I would not be here tonight. For all those great comedians, I am not the uncle, but the nephew.(もしハリウッドがあれほどたくさん面白い映画を作っていなかったら、今夜私はここにいないでしょう。あの偉大なコメディアン諸氏に対して、私は「伯父さん」ではないのです。私は彼らの甥っ子なのです)」とのスピーチを残している。
以上、Wikiより抜粋
日本では<ぼくの伯父さん>が
世界のさまざまな映画賞を受賞し評価され公開に至った後に
後追いで5年前の作品が公開され
その際に前作(いや、後作)にあやかり「休暇」と付けたようだ
コメディのジャンルに入るが
爆笑するわけではない
それは昔観た頃と印象は変わらなかった
本人はパントマイムの人
サイレント時代の喜劇の主人公たちのようだが
キートンのようなハデさはない
アクション系ではなく、癒し系
トボケた感じ
笑いはクスクス程度
しかしフランス映画
どこかセンスの良さが漂う
そして何より画が良いのだ
構図がバッチリ決まりすぎているほど
キマっている
最初から最後まで
見とれてしまう
ジャックタチ半端ない、、、
3.5☺
白黒作品だが、最後の1カットだけが、パートカラーでシャレている