三谷幸喜は、演劇の人であり、物書きであり、テレビの人であり、そして最後の最後に映画の人である、、、だから、映画は趣味の延長にあるような気が時々する、、、撮る側としての映画に対するこだわりがあまりない、、、
つくづく時代劇にデジタルはダメだなと思う、、、デジタル以降で成功した時代劇が思いつかない、、、クリアだけが優位で、セットは安っぽく映り、まるでテレビの時代劇のよう、大河ドラマをそのままスクリーンに映したような行為、、、フィルムや照明でなければ出せない画調の放棄、、、もはや時代劇風な再現は不可能なのかもしれない、、、、、、綺麗とクリアは違うのだ、ピュアウォーターとミネラルウォーターの違いのようなものか(うまいこと言ったような気分)、、、デジタルの優位性は、ある時は弱点、どうもほとんどの人が勘違いしているように感じられる、、、ま、ストーリーとセリフの人に言うのも酷だし、三谷作品にそれを求めるのもむしろ不粋な事なのだろうと思うが、、、