たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画一言二言/家族はつらいよ

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「悪いことしないから良い亭主じゃない、愛があるかが奥さんには大切なこと」

でも、愛があれば何でも許されるものではないことも、痛いほど知っています、ボク、、、ま、どんな家庭でも、それぞれの問題を抱えているんだよね、、、

 

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本編で主人公がテレビ(DVD)を観ている、「小津を観ているんだよ」という、<東京物語>だ、、、そういえば山田洋次はもともと小津が好きではなかった、、、時代は違うが、ふたりとも同じ松竹で喜劇や人情噺、家族の姿を描くのだが、庶民を描く山田から見れば、中流の家族を描く小津をあまり好きにはなれなかったのではないだろうか?山田洋次共産党員で、小津は保守的な人間(もしくは、ブルジョア/プチブル的)なのだから、山田にすれば必然的な事だったかもしれない、、、でもね、それは映画をみる上で好ましいことではないね、最初に固定観念が入っていたら映画を楽しむことは出来ない、もし逆に、共産党の人が作った映画だからと<男はつらいよ>を拒絶するとしたら、それは愚かなことだよね、、、山田も当初は愚かな固定観念で小津を拒絶していたんだろうね、、、ところが、ある日、山田は黒澤明の家を訪ねる、すると黒澤が小津の映画を喜んでみていた、山田にすれば黒澤の作風からして小津は真逆の存在と思っていたので、小津の映画を楽しむ黒澤が意外だった、、、「黒澤さんは小津が好きなのですか?」黒澤は答えた「だって、良いじゃないか、面白いじゃないか、小津は」山田はショックを受け、自分の思い込みや偏見をその瞬間に恥じたのだろうか、いい映画はいい、いい映画を楽しむ、それだけ、その作品を作った監督のバックボーンなど考えながら観てはいない黒澤を見て、いたって自然体で映画を楽しむことを山田は教えられたのかもしれない、、、そして、この映画の中で小津の映画を使ったことは、まさしく小津への愛、山田から小津への感謝(もしくはお詫び)ととるのが妥当と思う、、、文頭の小津映画を観ていた主人公が黒澤で、後ろから声をかけた奥さんを山田と重ねてみると、一致して面白い、、、

 

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