敬愛すべきブロガーのジーナさんがUPした記事に
ボクはたいへん感銘を受けた
この「ハチドリのひと雫」の話は
「私は私のできることをやるだけ」という信念の話と共に、
出来ないと思えることでも
みんなが皆で力を合わせれば解決できるかもしれないとの意味にもとれる
そんなことを考えながら
その晩、韓国映画<はちどり>を鑑賞した、、、
この映画は昨年のキネマ旬報の2位で
1位の<パラサイト/半地下の家族>と
韓国映画が1,2フィニッシュを成し遂げた
しかし、作風はまったく違うので
どちらが気に入るかで
その人の趣味趣向がハッキリすると思う
70年代は香港(主にカンフー)
80年代は台湾映画(ニューウェイブ)
90年代は中国大陸映画
そして2010年以は降韓国映画の黄金時代となり
まさに今がピークであるかのようだ
それにしても
韓国映画全盛の現在から60年前に遡って
日本映画の黄金時代は50年代であった、、、
「はちどり」はとても小さな体で
ホバリングしながら花から蜜を吸うハチのような個性的な鳥だ
ウニという中学生の女の子の取り巻く
周囲にいる人々との生活の中での沢山のエピソードを連ねた映画
友人、恋人、父、母、兄、姉、後輩、そして塾の先生
とくに塾の先生に主人公は憧れている
自分と同じように他人から少し「変わっている」と思われるような個性的な性格
何気ない先生との会話の中で少女は沢山のことに気づいていく
先生は超難関のソウル大学を卒業しているが
本来ならエリートの路線を歩くはずが
なぜか小さな塾で漢文を数名の人に教えている
そこらへんのバックボーンに関しては語られていないが
主人公の兄が父親から是が非でもソウル大学しろと
ハッパをかけられている姿をみると
主人公の少女には不思議な感じがするのだ
あまり裕福ではない家庭の
兄は希望の星なのだ
もしかしたら
(舞台となった)1990年代の韓国社会では
たとえソウル大学を卒業しても
女性はエリート路線には乗れなかったのか?
そこらへんは説明がないが
ひとつだけこんなシーンがある
少女がたびたび通りかかる道の沿いに
「死んでも立ち退かないぞ!」と垂れ幕を掲げている家がある
その家のことを先生に訊ねると
「世の中には理不尽なことが多いからね」と先生が答え
即座に少女は「可哀想」と口にする
すると先生はこういう
「可哀想なんて言ってはダメよ、その人のことを何も知らないのだから」
そうだね
人は簡単に思い込みやイメージで他人の人物像を思い描く
だけど、実際はその人のことを何一つ知らないのだ
その人に「可哀想」というのは短絡的なのだ
もしかしたら、正当な権利もなく立ち退き料をせしめようとしている
質(タチ)の悪い人かもしれない
思い込みやイメージで勝手に結論付ける人ほど
愚かな人はないと先生は教えている、、、
先生は授業中に突然
「一曲歌います」と言って歌い出した
どうやら
肉体労働者が仕事で指を失ってしまい
シャツが真っ赤に染まってしまうという歌詞から始まり
焼酎2杯飲んで街を彷徨ったという歌詞で〆る
人生つらいことばかり
残酷なことで苦しいことばかりだけど
人は何かで紛らせて
どうにか生きているんだという意味に解釈した、、、
母親は伯父から
「家は、オレの教育に金をかけて、オマエにはロクな教育を受けさせてやれなかったことをずっと気にしていた」と口にする
主人公の女の子は
家族から愛を感じていない
兄は時々彼女に手を上げて暴力をふるう
親に告げても
両親からの反応はない
少女は
兄の気が済むまで殴らせて時が過ぎるのを
やられるがまま我慢して終わるのを待っているというと
先生は「抵抗しなさい」という
ぜったいにされるがままで耐えてはいけないと、
先生は時々自分の両手を見ている
自分の手を見ているのが「好きだ」と、
何もできない手だけど
しっかりと動くのが不思議だと、
何も出来ないと諦めるのではなく
出来る限りのことをやろうと言っているように
ボクには聞こえた、、、
小さなエピーソドの数々を経て
最後は大きな出来事が待っている
よく出来た脚本で
後からじゅんじゅわ〜と心に染みる
たいへん素晴らしい作品だ
ボクは<パラサイト/半地下の家族>よりも
コッチを選ぶ、そういう趣向のようだ、、、
4☺
メモ
一輪の花、「赤と黒」の本、タバコ、スケッチブック、ポケベル、ケルビンクレイン(カルバンクライン)、ポカリスエットのTシャツ