たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

食は映画なり/リービングラスベガス

 

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生き続けることよりも、酒に溺れて死ぬ最期を選んだ男の話、、、ハリウッドでそこそこ頑張っていた脚本家の主人公はアルコール中毒のため周りから煙たがられる存在になっていた、ところが本人は生活を改めるつもりは毛頭なく、過去の想い出やパスポートも焼き払い、全財産を処分して得た金をもって、24時間酒を買うことができる街ラスベガスへと向かう、死に向う旅だね、、、そこで一人の娼婦と出逢うが、男が女に約束させたのは「オレと一緒に居たければ、酒をやめろとは絶対に言うな」

 

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ある晩

女が用意した夕食の席に男がつく「お、米でも食うか」

目に見えて衰えていく男に

女は「酒を止めて」とは言えないが

その代りに言った言葉は「病院に行って」

 

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ところが男は軽く拒否する

女は初めて感情をむき出しにして

「ひとつくらい私の言う事きいてくれてもいいじゃない!」と、ほえる

 

女は席を立ち

食卓に一人残された男は米ではなく

慣れない手つきの箸でコップの中の氷をすくい口に含んだ

 

暖かい健康的なゴハンではなく、冷たい氷を選んだ男

ますます死に近づく暗示だね、、、

 

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それまで女は

男も「You are my Angel」と言うように

まるで天使のように無償の愛を男に注いできた

その時も、その後も、感情を露にすることなく尽くし続けた女

 

だから

本当はこの食卓のシーンは必要なかったかもしれない

たぶん監督は最後までこのシーンを外すか悩んだと思うよ

 

感情むきだしの人間としてではなく

彼女をあくまでも天使のように描いて

このシーンを挟まなくても良かった気もするのだ

 

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でもね

そうなると一方で

「甘っちょろい」の批評を受けると予想して

監督はこのシーンを省けなかったのかも知れない

 

たとえ甘っちょろくても無償の愛を差し出し続ける「天使」として描くか

愛がつのって感情をむき出しにする「人」として描くべきか

挿し込むにしても、省くにしても

この映画の作風を決定づける重要なシーンといえるね

 

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メモ

プールが頻繁に映し出される

プールはこの男にとってのアルコールのイメージのようだ、、、

 

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このもうひとりの主人公の

娼婦役の女優さんがたいへん綺麗でいいけど

その後あまり活躍していないのが不思議、、、

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