是枝の新作
いよいよ公開
是枝監督が単身
海外で撮る初めての作品
予告でみる限り
動いているキャメラの動きが
いつもと違い
ちと動きが速い感じがする
やはり
いつもの是枝組でないからかなぁ
だとしたら、すこし心配、、、
是枝の新作
いよいよ公開
是枝監督が単身
海外で撮る初めての作品
予告でみる限り
動いているキャメラの動きが
いつもと違い
ちと動きが速い感じがする
やはり
いつもの是枝組でないからかなぁ
だとしたら、すこし心配、、、
日本近海でとれる魚介類は放射能まみれで危険な恐れがあるからと輸入制限し、オリンピックの時の食事にも危惧してケチをつける韓国だけど、
違法操業で日本近海の、いわゆる本来なら日本産の魚介類を奪っていく、そういう矛盾に韓国人はどう答えるのだろうか?ギャグ並みにおかしいよね?
一方、弱腰日本国は韓国の違法操業を見て見ぬふりしてきた、そのうえイチャモンつけられる。
なぜ、そういうことをキチンと指摘しないのか!?
「って、いうけどさ、そんな危険だっていう放射能まみれの魚を違法でとっていかないでよー」って言えばいいんじゃない?
とにかく、日本は遠慮がち、コトなかれ主義、オブラートに包んで、弱い者には強いが、相手が不良だとビビっちゃう、それが日本のエリート官僚であり、政治家
「そんなこといって相手怒らせちゃマズイよー」って、いうのが本音だろうね、、、
先日行った香港では、
放射能まみれだと韓国が言う日本の魚介類が、ふつうに売られていました、、、
とりあえず、
あれから数年経つけど、
日本の魚介類が大好きなボクは元気です、、、
昔々のこと
取引先の会長さんは
ニューギニア戦地から生きて帰った数少ない兵隊だった
いろいろと戦地でのことを訊ね
そして訊くのが大変興味深かった
「ハンパでないよ、疲労なんてもんでないんだよ、とりあえずその日の目的地に辿り着けばほとんどの人間がバタっと倒れこんで眠りに落ちるのだよ」「ところがね、私はもうひと頑張りしてジャングルの奥にはいって果物を見つけて食べてから寝るんだよ」「ほとんどの人が起きてから食料を探しにいくだろ、ジャングルの手前の食料はなくなっているから、結局ジャングルをさまよって奥へ奥へ食料を探し求めてゆかなくちゃならないから、その分さらに疲労がたまるんだね」「思えば、どうにか生き延びて日本に帰れた連中は、寝るのをもうひと頑張り我慢して食料を得たヤツ等だね」
「人肉?ないとは言えないよ」
「家から一歩出れば目の前にコンビニがあって、いつでもなんでも手に入る現代の連中が、今の倫理観で今の法律で今の価値観で、なんか言ってんじゃねえよ!もっともらしいこと言ってんじゃねえよ!って、叫びたくはなるがね、ニコッ」
ニューギニアとフィリピンでは
また少し違うのかも知れないが
どちらも地獄であったことだけは、確かだろう、、、
大昔みた市川崑版があまりに衝撃的で
強い印象が残っているので
塚本晋也のリメイク版には手が伸びなかった
それでも
市川崑には及ばないにしても
かなり良い出来だからと薦められて観たのだが、
正直
まったく市川崑の足元にも及ばないというのが感想だ
塚本晋也って
いつまでたっても素人っぽさが抜けなくて
それが一種の特徴であり魅力でもあるのだろうけど
それは好みの分れるところで、
市川崑が極限的に再現性が高いのに対して
塚本版はグロいスプラッタ映画でしかない
再現性とボクは度々その言葉を使うが
実際にあったことでないことでも
さも現実を再現したかのような現実味を感じるのが「再現性」であり
一方で
何でも可能なはずのCG等最先端技術の作品に
そういうリアル感を感じないのは
技術を使い切れていない
使える使い手が少ないということなのだろうね
もはや
ハードに対してソフト(人間)がついていけていないと思える
話は<野火>に戻るが
最先端技術を使わなくとも(使わないからこそか?)
ただ彷徨えるだけの兵隊たちの描写を再現してみせた
塚本版は暑い現地でのロケが
さぞかし大変だっただろうなぁと感心する程度で
70年前のそれを再現できているとは思えない
(しかも撮影によってはフィリピンでないらしい)
ボクも70年前の現地を知っているわけではないが
それが「再現性」なのだ
知っていない場所でも
さも知っているように観客に感じさせるのが「再現性」なのだ、、、
最後に、
チャップリンは<黄金狂時代>の中で
空腹に耐えかね靴を食べようとする
靴も人肉も
人々は飢えの中でも
常識や普通の中にいる人々と同じ「人」なのだ
かえせば
あなたも、その時には、そうなるかもしれませんよ、、、
食は映画なり!