あらすじ
旅先の金沢で3人の女性旅行客と出会った寅次郎。そんな彼女たちと仲良く記念写真に収まることになった寅次郎は、「はいチーズ」という所を「はいバター」とやってしまった事で大ウケ。これですっかり彼女たちと打ち解けたのだが、その中の一人で著名な小説家高見の娘である歌子(吉永小百合)に強く心惹かれてしまった。旅から単身帰った寅次郎は、歌子への募る想いから鬱状態に。そんなある日、歌子がとらやを訪問。寅次郎はすっかり上機嫌になったが、歌子の口からは恋人との結婚話がさくらに打ち明けられるのであった。 (Wikiより)
本編中こんな会話がある
とらや一家を訪ねた吉永小百合が
失恋の経験を訊ねられて、こんなことをいう
「お付き合いを始めた男性のお宅に呼ばれると、すごく立派なお屋敷で、壁一面にバラが咲き誇っている、すごく綺麗なので眺めていると、男性が言ったの『一緒になったらバラに水をやるだけで、あとは何もしなくていいからね』これを聞いて急に覚めちゃったの、なんかフラれたような気分に」
それを聞いたサクラも「分かる」と同調する
そんな話をうちの妻に話して聞かすと
「バカらしい、わけわかんない、行くに決まってるじゃん!」と、
吉永にもサクラにも同調する気はサラサラないようだ、、、W
映画の中の吉永もサクラも
『ボクと結婚すると、こんな特典がもれなく付いてきま~す!』って言っているような
そんな男の口説き方にガッカリしたんだろうけど
現実のたいてい女性はガッカリはしない
むしろ、パッチリ目が輝かせるだろうよ、妻は言うのだ、、、
それはね、結局
脚本を書いた男連中が吉永に言わせたい言葉なのであって
吉永とサクラにはそういう考えをする女性であってほしいという
男の幻想的な願望が込められているんだよね
こういう甘っちょろい点が山田洋次の弱点であって
それでも、そういう映画だから仕方はないけど
しょせん、溝口や成瀬のラベルには行けないわけだよね、、、
今回
おいちゃん役の森川信が死去した後のようで
二代目おいちゃんに松村達郎が就いている
歌舞伎の世界ではないので
まさか同じように演じろとはいっていないだろうが、
演じるってことはモノマネではないから
演者のキャラがどうしても出てしまうものだ
だから
森川信のおいちゃんに愛着のあった観客にしてみたら
当然違和感は感じるよね
ただね
松村達郎は<純情篇>でスケベ医者を演じているけど
それが、おいちゃんを演じるわけだから
それでも、そういった違和感を感じさせないのは松村の演技力というか
引き出しの多さを見せつけられるているようだね
このように<男はつらいよ>では
同じ役者に別の役を当てることを頻繁にしているし、
同じ女優に別のキャラクターのマドンナさえ演じさせるほどだけど
ここらも<男はつらいよ>シリーズの大胆不敵さ、面白さなんだよね、、、
<男はつらいよ>のシリーズに
必ずといってもよいほど登場するアイテムは
「橋」「汽車」「宿」「食堂」「手紙」「電話」「喧嘩」「祭(縁日)」
これらは重要アイテムが本編ではすべて揃って登場する
ボクは鉄っちゃんではないが
昭和の汽車や列車の風景はマニアにはたまらない魅力であるだろう
それが<男はつらいよ>のまた別の意味での魅力だろう、、、
橋は旅の象徴だよね
道路であれば県境であってもそれはハッキリしないけど
橋だと土地から土地を渡った感があるからね、、、
ちょっと気になったこと
倍賞千恵子の「お肌事情」
サクラの若々さが少し衰えた気がする
以前は茹で玉子のようにトゥルントゥルンとした肌の張りがあったのだが
今回見るサクラの肌からそんな張りが消えているように感じる
<家族><故郷>の疲れの影響か?
とくに<故郷>では肌のダメージがあったのか?
それとも、何かプライベートで問題を抱えているのか?
はたまた、おいちゃん役の森川信が亡くなったショックだろうか?
半年に1度しか観ないなら気付かないかもしれないが、
連日続けて同じキャラを観ていると
そんな変化にも気づくこともあるのが
非リアルタイム鑑賞のほんの少ない利点の一つだ、、、