たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/護られなかった者たちへ

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阿部寛演じる主人公の刑事もまさにマニュアルに従わない人間、今の社会ではダメ人間、たとえ「心」があっても組織の中のダメな奴、、、ところが、原理原則、ルールに縛られ、その結果人を殺すことになる、結局日本のコンプライアンス病がこうなる、、、臨機応変が出来ない、臨機応変に対応できる人間が減っているからマニュアルに従わせるしかない、逆に言えば従っていればラクだから人が育たないのだ、何故かそれが判らない日本のエリートたちよ!つくづく思うのは「頭の良い奴はたくさんいるけど、あわせて心まで良い人は少ない」ってこと、、、

 

自分で自分をがんじがらめにしている日本という国、、、何もできなく、出来ることが限られる羽目になっている国、武家社会の弊害は日本という社会を国をダメにするだけ、、、本当にここらへん正さないと日本は落ちていく一方だよ、、、

 

あらすじ

東日本大震災から4年後、仙台市内のアパートで、両手を拘束されたうえ四肢や口をガムテープで塞がれ、餓死した状態の遺体が発見された。被害者の名は三雲忠勝。福祉保健事務所の人間だということがわかり、金銭に手がつけられていなかったことから怨恨の線で捜査が始められたが、身辺を洗っても、職場でも家庭でも三雲のことを悪く言う者は誰もいなかった。しかしそれから4日後、今度は宮城県議会議員の城之内猛留が公園近くの森の中にある農機具小屋の中で遺体で発見される。遺体の状態は記者クラブにも流していない共通項が多く、十中八九同一人物によるものだと判断された。城之内にも公私ともに悪い噂すら見つからなかったため、犯人は善人や人格者に照準を定めていると考えた捜査本部は、前科者や精神科に通院歴がある者からあたるよう指示するが、宮城県捜査一課所属の笘篠誠一郎は2人に必ず何か共通点があるはずだと考える。そして城之内が議員になる前は厚労省の公務員であり、三雲と城之内が塩釜福祉事務所で2年間、同じ時期に職員として働いていたことをつきとめる。

笘篠とそのパートナー・蓮田は、三雲の部下である円山菅夫に話を聞いたり、福祉事務所の仕事の1つであるケースワーカー業務に同行して生活保護受給者たちと接触し、行政側が真っ当な対応をしていても逆恨みされていることがあることを知る。そして2人は捜査対象を三雲と城之内が勤務している期間に生活保護申請を却下された者や、受給していながらケースワーカーの報告で打ち切られた者にしぼり、塩釜福祉保健事務所からその対象者のリストが入ったUSBと資料をなんとか手に入れる。そして2年間で700件近くあった該当者の中で、不服申し立てを含み申請が複数回に及ぶ者や事務所関係者とトラブルがあったものに絞ったところ、4人の容疑者が浮上する。4人に順に話を聞きに行った笘篠と蓮田は、職場や家庭では善人とされている三雲と城之内が、生活保護の申請を却下された者たちからすると、蛇蝎のように忌み嫌われているということを知ったが、4人の中に犯人はいなかった。しかし筋読みに間違いはないと感じた笘篠は、最後まで資料を出すことを渋っていた塩釜福祉保健事務所の生活支援班所属の支倉がUSBを改竄していた可能性に思い当たる。そして支倉を追及して改竄の事実を認めさせ、改めて削除された3件を検証すると、それらは全て却下理由が「資産調査が不十分(申請者自身が己の生活が困窮状態であると証明できなかった)」という微妙なもので、却下決定後に窓口担当とトラブルを起こしていた案件だった。その中で、遠島けいという人物の場合は本人ではなく知人男性が乗り込んできて、三雲と城之内に怪我をさせた挙句に建物に火を放ったと知った笘篠と蓮田は、その知人男性・利根勝久こそが犯人ではないかとにらむ。

現在の利根の行方を調べると、模範囚だったため8年で仮出所が決まり、三雲が連絡を絶った日の1週間前に出所したばかりだった。笘篠と蓮田は利根の保護司である櫛谷貞三の元を訪れ、そこから利根が出所してから密に連絡をとっていた五代良則という現在は名簿屋をやっている男にいきあたる。利根のことを心配していた五代は独自のルートで、利根が三雲らを殴った本当の動機、そして最後に利根が狙っている男…かつて三雲と城之内の上司だった上崎岳大がもうすぐフィリピンから帰国することをつきとめていた。しかし200人の捜査員が空港を張る中、現れた利根は、「俺は上崎を護ろうとしていたんだ」という予想外の言葉を口にする。そして、笘篠はどうしても行かせてほしいと懇願する利根を連れ、塩釜にあるかつて遠島けいが住んでいた長屋に行き、事件の真相を知る。(Wikiより)

 

3.5☺

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