<セッション><ララランド>と
ヒットを連発したデミ
すっかり映画ファンのハートを掴んだ
新時代の映画監督の旗手
そのデミちゃんの<ファーストマン>
ボクはデミちゃんをスピと重ねてみている
<激突!>に対して<セッション>
どちらも本格的なデビューに対して
いきなり頭角を現し
映画ファンをアッと言わせた
<ジョーズ>に対しては<ララランド>
映画監督としての評価を早くも決定づけ
若くしてハリウッドでの地位を確立
次世代の映画監督のホープとなる
そして
<未知との遭遇>に対して<ファーストマン>
どちらも宇宙に向き合う話し
だがアプローチは違う
しかし何故か
<ファーストマン>に<未知との遭遇>と似たショットが登場したりした
スピを意識はしていないだろうけど
スピを感じずにはおれない
この映画は
ニールアームストロング船長の月面着陸までを描いたものだが
単なる伝記ものや実話ものではないんだよ
「生と死」を描いた深い作品であり
「天と地」「宇宙と地上」は「生と死」を対比して表しているね
そこが読み取れないと
たいへん退屈な映画と化してしまうね
冒頭
ニールの娘が死ぬところから物語は始まる
最後
月面着陸に成功して主人公が娘の形見を放る場面は感動的だ
そして主人公は宇宙服越しに涙する
月に到達した達成感、安堵感の涙はないんだよ
父は幼くして亡くした娘に
遠い旅をして会いに来たのだ
命のロードムービーとも言えるんだよ
(命を懸けた)
そういう涙なんだよね
前半部分で
「娘をなくしたことで任務に支障がないか?」と上官に尋ねられ
「あるかもしれませんね」と答えるシーンが活きているね
このほか前半に二度葬儀のシーンがあり
さらに同僚宇宙飛行士たちを宇宙船の事故により失う
主人公には常に「死」がついて回り
家族はその「死」の周りを彷徨う以外何も出来ない
安定しないキャメラは
宇宙のシーンだけでなく
地上であっても常に揺れている
常に死を意識させているのだ
本来なら
宇宙のシーンと地上のシーンは
キャメラの動きの違いを出して撮るのがセオリーだが、
そうしたにことで
死の予感と宇宙で常に直面する「死」が地上と宇宙で共有される
非常に相応しいキャメラワークになっている
こういう作品は
評価しなくてはいけないね
派手さはないので
退屈に感じたり長く感じたりする観客もいるだろう
そういうものを求める人たち向けではないが
派手さはなくてもぜんぜんイイ映画だ、、、
そして
デミちゃんもまた一歩大人の階段昇ったなぁ
ついに
スピの後継者といえる存在になったね
そんな
デミが大人になった
立派な監督さんになった、素晴らしい作品でした、、、
3.5☺
こういうライティング、いかにもスピ風
娘の形見を投げ、涙を流すニール、感傷的なシーン
「人間」ではなく「人類」だと思うぞ、、、(W)
ラストの死を乗り越えて夫婦の再会