たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/友だちのうちはどこ?

まだまだ、決して埋もれているわけではないが、
 
DVDレンタルが開始されたのを機会に、いくつかの作品を再見した、、、
(これを機会に多くの人がキアロスタミに触れ、日本で再評価されるだろう)
 
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いわゆる
キアロスタミの「ジグザグ三部作」
もしくは「コケールトロジー」(コケールはイランの田舎町の名前)
 
何がジグザグっかって言うと
この三部作を観ると分かるのだが
かならずジグザグの坂道が登場するからなのだ、、、
 
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小学校の教室に女子の姿はいない
そして
ほとんどがプロの俳優でなく
この作品の主演を務めるアハマッド君も町の普通の小学生
 
それにしても演技が上手すぎるのだ
 
いつも不安げな表情で
とてもとても一般人とは思えない
いや、素人だからの表情なのか、、、
 
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物語は単純
隣の席の友達のノートを間違えて持って帰ってきてしまい、ノートがないとその子は宿題が出来ない、翌日宿題をノートに書いてこないと、その子は退学になってしまう、アハマッドは「宿題やりなさい!」「パンを買ってきなさい!」「ノートなんてどうでもいいのよ!」という母親の目を盗んで、住所も知らない手掛かりもない友達の隣町を目指してジグザグの丘を越える、、、ところが、友だちのうちはなかなか見つからず、いったん町に戻ってきたり、再び丘を駆け上ったり、いろいろと訪ね歩いているうちに日が暮れてしまう、最後に知り合った老人に付き添ってもらい訪ねた家も違っていたが、アハマッドはお爺さんを気遣い「友だちに会えた」とウソをつき、仕方なく家路を急ぐ、、、さて、友だちは翌日退学になってしまうのか?
 
と、いう、
間違えたノートを友だちに返すため、遠い道のりを行く物語
なのに、なのに、
この少年の純真な心に引っ張られて、観客もついて行ってしまうことだろう、、、
 
こんな子供の優しい気持ちを、大人は判ってくれない、、、
 
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何もせずヒマを潰している老人たちの会話
「子供は殴って、礼儀正しくさせなければならない、それが躾だ」
恐怖で支配し、躾ける、野蛮、、、
 
「いい子には、どうするのだ?」の問いかけにも
「なんらか理由を付けてでも、少なくても4日に1度は殴らなくてはいけない」
理不尽、粗野、愚か、、、
 
こんな調子の町だから
子供は正しいことを行うのにも
怯えながら大人の目を盗んで
時には大人にウソをついてでもしなければ、善行さえも行えない、、、
 
以上、この映画を観たら殆どの人が語るであろう感想
 
それはそうなのだ
そして、少年がいじらしくて、可哀想になる映画
 
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しかし、それだけではないんだね
 
映画冒頭のファーストカット
扉のドアノブが延々と映し出されるね
(ドアノブがタイトルバックになっている)
 
ほかにも
扉が意識されている場面が多々あり
 
登場人物の粗野な大工がこんなことも言う
「木のドアなんかすぐにダメになっちまうよ、ところが鉄のドアなら死ぬまで大丈夫」と
 
一方、親切にしてくれたお爺さんは
「最近は鉄のドアなんかにするけど、木のドアでずっとやってきたんだよ」と今の風潮を嘆く
 
終盤
帰宅した少年は親にこっぴどく叱られたのだろう
(叱られた描写はない、でも、想像に容易い)
食事も喉を通らずショげている少年
別の部屋に引っ込み宿題を始めた時
 
強風で家の扉が壊される
少年が驚いて扉に振り返ると
その視線の先に
ものすごい強風の中を
お母さんが洗濯物を取り込んでいる姿が、、、
 
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ここでは扉がないんだね、開かれている
 
扉は「家族」を表しているね
そして、内(家族)と外(社会)の境界でもある
 
人は「家族」という小さな集団を形成し
その家の外で「社会」という形成された集団の一部になる
 
小さな小さな「個」は社会の中では
とても小さな存在だけれど
「個」は「個」とつながりにより存在を成長させている
 
ラストの先生の言葉、、、「よく出来ました」
 
少年は家族と社会の谷間を行きし
立派に一仕事を終えることが出来ました、、、
 
大人には些細なことにしか思えないことでも
大人と同様に子供には子供の大事件が発生し
それを子供なりに解決しようと必死になる姿
自分にもこんなことが子供の頃にあったなぁと
誰でも何かを思い出すであろう物語
 
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