たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/風が吹くまま

非常に有難いことに
レンタルでキアロスタミの<風が吹くまま>の貸出しが開始された
すぐさま借りて鑑賞、、、
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イランは首都のテヘランの北700キロにあるシダレという山村。そこで行われる珍しい葬儀の取材のため、クルーと同地に訪れたTVディレクターのベーザード(ベーザード・ドーラニー)だが、なんと亡くなるはずだったおばあさんが持ち直したと案内役の小学生の男の子ファザードからいきなり聞かされる。こうして一行は村でなすすべなく日を送る。村人は彼らがTVクルーではなく電話技師だと思い込んでいる。そんな彼の携帯電話には何度も雇い主のグダルジから催促の電話がかかってくる。電波が遠くて聞こえないため、そのたびに村で一番高い墓のある丘まで車をわざわざ走らせる。ヒマを持て余しながら過ごすうちにも、グダルジからは何かと催促され、スタッフからは決断を迫られ、イライラがつのるベーザードはファサードやカメに八つ当たり。そんな矢先、電話で呼び出され墓の丘に向かったベーザードは、そこで働いている知り合いになった穴掘りが生き埋めになった現場に遭遇。彼の急報で穴掘りは救出され、ベーザードはやってきた医者についでに例のおばあさんを診察してもらった。彼は医者のバイクに乗って町までおばあさんの薬を取りに行った。翌朝、帰り支度をしたベーザードがおばあさんの家をのぞくと、死を悼む泣き声がしている。彼は遠くから葬列に加わる女たちの姿をカメラに収めた。やがて彼は墓の丘で拾った足の骨を小川に捨て、車で村を去って行くのだった。(MovieWalkerより転載)
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ボクの思うキアロスタミ
他の監督が考えなかった独自の独特のアプローチで映像を組み上げる人
 
桜桃の味>を初めて観た時は「唯一無二」
それまで同じ類の作品をボクは知らない
 
<クローズアップ>では
実際の事件の実際の関係者当人を演者に迎え
自分自身を演じさせた
 
しかし
ときに非常にセリフが多く
ボクが映画の価値を評価する時に重視する
モーションピクチャーとしてはかけ離れていると感じることもある
 
ボクの思うモーションピクチャーは文字通り「(言葉に頼らず)連続する画の並び(もしくは連続する動きによるワンカット)によって観客に伝えるもの(モンタージュだけとは限らない)」であり、それによって「観客の心をも動かす」意味もあるはずだ、観客は何に心を動かすのか?ヒヤヒヤ、ドキドキ、ワクワク、スカっとしたり、笑ったり、涙し、心動かされる、それが映画それがモーションピクチャー、サイレントの時代には実際セリフも音もなくてもそれをやっていた、織りなす画だけによって観客のエモーションをモーションするもの、ボクは美しい画とダイナミックで力強い画に心を奪われる、、、
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ところがこの<風が吹くまま>は
すべてのシーン、全てのカットに心奪われた
 
もちろんロケーションが良いのだ
山と山の谷間に家々が肩を寄せ合い張り付くように形成されている町には
一瞬で心を持っていかれる
 
よく考えられた構図による美しい画
いちいち心に染みる言葉の数々
 
あらゆる対比
 
生と死
子供が産まれ、老人が死ぬ
死を待つ人、生を望む人
町と田舎
人(歩く)と車(走る)
人間と動物もしくは虫
荒れ地と緑地
緑の自然と黄金色の小麦畑
見えるものと見えないもの
 
あ、そういえば
 
顔を見せない人々
多くの登場人物が顔を見せないのだ
意表を突く興味深い演出
 
部屋の奥から声が聞こえるが
もしくは井戸の底から聴こえる声と会話するが
とうとう最後まで顔を見せることはない
 
存在すら危うい
見えるものと見えないもの
実存する個体と魂
 
これはこれは素晴らしい
名匠アッバスキアロスタミの傑作、、、
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