たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/アダム氏とマダム





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一人の中年女性が身を隠しながら誰かが現われるのを待っている。そして、会社から男が現れ、女は男の後を追う。男がアパートの部屋に消えると女は部屋に押し入り、そこにいた男と女に発砲する。女が撃った男は夫で、居合わせた女は愛人だった、撃たれた男と女は一命をとりとめるが、撃った女は逮捕される、、、

この冒頭のシークエンスが素晴らしい
ツカミはOk!

まったくセリフなしで数分間
観客の興味を煽って見せ切った

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夫アダムと妻アマンダの夫婦は「検事」と「弁護士」の夫婦、そして、お互いの立場でこの事件に関わり、対立していく、、、

こういう夫婦や恋人同士の対決対立は
この映画がはしり

米国人は
赤ちゃん教育>や<ヒズガールフライデー>と同様に
この映画が大好きだが
日本では知っている人すらほとんどいない、、、

まさに日本では埋もれた名作
こんなに面白い作品なのに
多くの人が観ていないなんて勿体ない!

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イデアやプロットだけでなく
実際非常に面白い裁判劇であり
夫婦の関係、ラブコメであり
そして「男女同権」についての 問題提議である

たとえば
妻が銃で夫を殺そうとしたら
夫の軽率な行動を咎め
あくまでも妻が「恐ろしい女」としてマスコミは扱うだろうし
世間もそのように感じるだろう

ところが
立場が逆だとして
妻が浮気していて
夫が現場に踏み込んで撃ったとしたら
マスコミは「当然」のこととして
夫(犯人)を擁護するのではないか?
そして、ふしだらな妻こそ叩かれはしないか?

被害者として
男はとがめられず
女だったら、ふしだらで軽率と言われ

加害者として
男は仕方ないと同情擁護を受け
女なら悪女とされる

理不尽だよね

こんな不公平なことがあるか!と
キャサリンヘップバーン弁護士は怒りを込めて戦う

もう
この事件だけでないんだね
ヘップバーンは世論と戦っているんだね
男性社会と戦っているんだね

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そして
「That Evening」とスーパーが度々現れ
その日の裁判の晩の夫婦が描かれる

スペンサートレイシーの夫にも
女性に対する同権の意識が低いことを
だんだんと妻キャサリンヘップバーンは感じて
ふたりの仲が徐々に悪くなっていく

ここらはセリフセリフ
舞台劇のように夫婦の丁々発止が続く

キャメラもいい
1シーン1カットで夫婦をとらえる

FIXで空の部屋を映し
左右から夫婦のやり取りがなされる場面なんて
当時としてはかなりシャレていると思う

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また
夫婦でマッサージをし合う場面があるのだが、

夫が妻からマッサージを受けている時は
夫が優位で余裕を示すが
位置が逆転して
そのタイミングで妻に言われた言葉に
夫は怒りだす

男は優位な立場だと余裕を示すが
逆の立場だと憤慨する

まさに
夫婦や男女の立場
また事件の様相
男女同権の不平等を
マッサージで表現してしまう巧さ

監督はジョージキューカー
主演はキャサリンヘップバーンとスオペンサートレイシー
息の合ったコンビ

ぜったいに観るべき作品
埋もれがちな傑作!

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ちなみに原題は<Adam's Rib>
「アダムの肋骨」だね

「女は男の肋骨から生まれたのさ」
って
ちょっと女性蔑視な聖書の一節、、、