たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/果てしなき蒼空

トリュフォーは言った

「<大砂塵>と<果てしなき蒼空>を観て、良さが解らない人がいたら、その人は映画を見る目がないから、もう二度と劇場に足を運ばないほうが良い」と、

それほどの評価であるのなら
この作品は日本において埋もれていると言わざるを得ない

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解説
1830年アメリカ。猟師のジムとブーンはセントルイスにやって来た。2人は、インディアンとの毛皮交易を目論むブーンの叔父ゼブと共に、毛皮商ジュルドネの船でミズーリを遡ることに。その船にはインディアンの娘、ティール・アイが乗っていた……。ホークス得意の゛男同士の友情゛にインディアンの娘との恋愛が絡む物語だが、キャスティングや撮影も難航し、監督にとって満足のいく作品にはならなかったという。(Wikiより)

ボクは
秋元康はハッタリ屋のペテン師と思っている節があるが
秋元氏が、もしも<川の流れのように>の歌詞を担当していなかったら
今の秋元氏の地位はかなり違った別の評価になっていたかもしれないと思っている

同じように
もしもジョンフォードがスタインベックの<怒りの葡萄>を映画化していなかったら
その評価はハワードホークスと同等になっただろうと思っている

しかしハワードホークスは文芸物をやらなかった
娯楽一辺倒の職人監督

同じようにヒッチも
ほとんどの作品がサスペンス・スリラーである職人監督だが
その映像のトリッキーさゆえ
晩年において映像作家としての地位・評価が確立された
(それもトリュフォーの仕業、良い意味で)

ニコラスレイにしても
ハワードホークスにしても
B級の汚名は拭われたが
娯楽一辺倒の職人監督に変わりはない

しかし
たとえば画作りにこだわるわけでなくても
実際の画はツボを押さえているし
再現性にウソはないと感じる

登場する演者のキャラの立て方が巧いし
物語の運び方もさすがに職人だ

ただし
トリュフォーがいうほど
特にこの作品を挙げるまでもなく
ホークスには彼のキャリアとして
特筆すべき作品であるとまでは言い切れないと少々感じた、、、