昔観て
よく解らなかったけど
次男が観ていたので
次男の解説を拝聴しながら再見した、、、(笑
名だたる映画人から敬愛されるスウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、1963年に発表した作品。61年の「鏡の中にある如く」、62年の「沈黙」にとあわせ、「神の不在」をテーマに描いた3部作の1作とされる。スウェーデンの漁村で牧師をしているトマスは、最愛の妻に先立たれてから失意の底にいた。新しい恋人のマルタとの関係もうまくいかずに疲れ果て、牧師としての自信も失っている。そんなある日、深い悩みを抱えた夫を助けてほしいという信者の女性の相談を受けるが、ありきたりな言葉しかかけてやることができない。やがて女性の夫は自殺してしまい……(映画.comより抜粋)
光には二つあるそうだ
ひとつは「恩恵の光」
それは神を純粋に信じる者に与えられる光
もうひとつは「自然の光」
それは、その逆、純粋でない信仰心を持つ者へ与えられる光
マックスFシドーは神を疑っている
神父ですら神の存在を疑っている
村の人も誰も実のところ信じてはいない
だから教会に来ない信じない
その先に
核戦争が待っている暗示
うずくまる神父に差す光は
自然の光
神を崇めるとも、望んではいない
神の沈黙は認めるとも、望まない
神は何もしないが存在するんだと、、、
宗教の偽善的側面を描き
信仰と疑問を同時に提示する
思えばベルイマンは
早くから外光、自然光を活かした撮影技法を駆使してきた
それはヌーヴェルヴァーグよりも先んじて
そして本作ではタイトルに「光」と付してまで
光を意識した作品になるのだが、
部屋に差す光はどこか人工的な質感を感じさせ
そこに「神の不在」の意味を持たせている気がしたのは
ボクの的外れな感想だろうか、、、