たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/シェイプオブウォーター

まずは
ポスターを
よーく目を凝らして見てみてほしい

よくよく見ると
背景の水の「青」が
「ウロコ」なんだよね
綺麗にデザインされているね

前にも言ったけど
米国では半魚人のことをギルマン(ウロコ人間)って言うんだね
それを考えたうえで見ると
非常にセンスの良いシャレたデザインのポスターと思えるね

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まずは
たいへん「映画愛」に満ちた作品だった

多くの人が
<美女と野獣>や<スプラッシュ>を持ち出して
比較しているけど

そういうことより
ラストの
このポスターのシーンでも分かるように
やはり
<大アマゾン半魚人>並びに<半魚人の逆襲>のオマージュ
もしくは過去のモンスター映画に対するリスペクトなんだよね

そのほか
ハリウッドのミュージカルなど
クラシック映画に対する愛情に溢れている

デルトロはやはり映画ヲタなんだね
映画をこよなく愛し、映画をよく知っている

すでに自分のスタイル
自分の作風を確立しているね
それはまるで「大監督」のようでもある

そして
全篇をとおして流れるようなキャメラワーク
冒頭部分の水中のシーンの動きを
そのまま引きづり本編でも貫いているのはエライ

ただね
あの夫婦のベッドシーンの
後方からのルーズなショットでの「ボカシ
あのカットいる?

あえて入れることをチョイスした監督の判断が正しいにしても
あの1カットでオスカーの作品賞はなくなったね
あんなカットが入った作品賞、過去に前例がないからね

あれがなければ
作品の「質」的には<スリービルボード>よりも優れているからね
『勿体ないことしたなぁ』と、思っちゃうよね

主人公の女性の裸や自慰シーン
主人公の相棒ともいえるオジサンの性的指向
」「性欲」についてが大きなテーマの一つだけど

女性が半魚人と性的な交わりを望む必然性
それに関しては
もう一つくらいエピソードがあったら
更に説得力があったかもしれないと思ふ

たとえば
半魚人に会う前の主人公が
魚が大好きなあまり、魚を食べることが出来ないとか
熱帯魚を飼っていて
部屋の水槽でアロナワが泳いでいるとか
爬虫類を飼っていて
「その冷たい皮膚感が好きなの」と言わせるとかね

もしくは
盲目の設定であれば
容姿に関係なく恋に落ちる説得力は増すよね

そういった脚本的な
ひと手間ひと工夫があったらどうだったろうかとも思うね

ま、
舗道を歩いていて時々
『なんであんな美人がブサイクな男とラブラブなの?』という場面に出くわすような

当の本人でなくては理解できない事情、理由、魅力があるんだろうし
愛に落ちていく過程って
個人的な他人には説明できないフィーリングなのかもしれない

主人公が声を失っていることは非常に重要な点ではあるし
(言葉でない意思の疎通、フィーリング、コミュニケーション)
互いに通じ合う疎外感一体感
セックスへと導かれると考えても不自然ではない

異質なことに対する「差別
言葉がなくても通じ合え
そこから生まれる「」そして「
素晴らしい作品でした、、、

いつもながらの
デルトロの世界観に浸りながら
バッドエンドともハッピーエンドとも感じられる
御伽噺の底の底に身を沈めた、、、

4☺
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本家アカデミー賞についても触れておく

以前ボクは次のように予想した

◎シェイプオブウォーター
✖ファントムスレッジ
▲ゲットアウト
▲スリービルボード

基本的に、こう思うことに変わりないが

あの不用意な1カットで
<シェイプオブウォーター>の線は薄くなった気がする

いちおう
世間的には<スリービルボード>との
一騎討ちのように言われているけど

面白いのは<スリービルボード>、、、脚本賞
でも映画的な良さは圧倒的に<シェイプオブウォーター>、、、監督賞

でも
そうなると甲乙つけがたいので
その間を縫って
作品賞は<ダンケルク>でいいような気がするんだよね

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