たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/カメラを持った男

こういう映画を語るのは難しいね

映画史上の
名作中の名作扱いにされているけど、

はたして現代のどれほどの人たちが
これを名作と認めるだろうか?

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映画は
リアルタイムで観て評価するもの(ぜったいに!)
その時代の価値観や社会情勢やフィーリングが
映画に及ぼす影響は計り知れないからだ

だから
のちの時代に
昔の映画を今の感覚で語るのは卑怯なのだ、卑劣なのだ、非礼なのだ

リアルタイムで観られないのなら
せめて、その時代の空気を意識し
脳内だけでもその時代にタイムスリップしてから
その作品に対する「礼」というものがあるのだ

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1929年の映画だね

前年にはアカデミー賞がはじまり
<つばさ><サンライズ>が作品賞を受賞し
<群衆>なんかも前年だ

1929年には
メトロポリス>(ただし製作は1926年)
キートンのカメラマン>などが公開された
邦画では、マキノ正博の<首の座>がキネ旬の1位になっている

そんな時代

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映画の冒頭
このような但し書きではじまる

「演技の助けも借りず、シナリオの助けも借りず、セリフの助けも借りずに描く」
「演劇性や文学性といった言語から解放され、真の世界共通言語となるだろう」
そのための実験なのだそうだ

劇映画でも、記録映画でも、イメージ映像でもない
とくにメッセージ性もない

次から次へと町を人を映し出す
人々の日常の風景、動物、スポーツ風景、工場の機械、作業風景、
そして出産シーンも、、、

しかも、この出産シーン
『そっちの方向からそんな角度からカメラ構えていいの!?」』って、アングルで
『そこ映しちゃって、そこ映っちゃって、いいの?』って、場面に遭遇したりする

この映画は
何を伝えるのか?何が伝わるのか?何に辿り着くのか?

FIXな画ばかりでなく、移動も、パンも、ロウアングルも、俯瞰も、あおりも、シンメトリックな構図、モンタージュ、クローズアップ、ロング、ディゾルブも、オプチカル合成も、ズームも、ハイスピード、コマ落とし、コマ撮り、ストップモーション、逆回し、スチール、マルチスクリーン、、、、

ありとあらゆる映画技術
当時としては最先端のテクニック
リュミエールやメリエスたちが競った映画的な手法、技法

そして、
ときどきキャメラマン自体がカメラの対象となる

これは「目」なのだね
これは「記憶」なのだね、未来へと続く、
タイムカプセルを土に埋めるような作業

この時代の観客なら
このセンス、テンポにカッコいいと見とれたことだろう

今の時代の貴方は1929年の「人」になれるか?

評価するなら、そうなって上で、語るべき作品だ、、、そうでないと卑劣

3☺