たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/最後の追跡

日本で
スピルバーグの映画監督デビュー作とされるのは<激突!>だが
米国では当時<激突!>は劇場で上映されなかった
だから<激突!>は米国では「映画」でなく「テレビ」ドラマだ

スピの本格的な劇場用映画デビュー作は
米国では<激突!>ではく
Sugar Land Express<続・激突!カージャック>ということになる

米国では「テレビ」ドラマ、日本では「映画」

そのおかしな現象は
近年、映画のアイデンティテぃの問題として
クローズアップされている

「フィルム」と「デジタル」
その上映方法で「映画」とその他の映像「コンテンツ」を
どのように線引きするか?

etflixやHuluがオリジナルで制作した作品を
映画として扱って良いのか?

ボクはフィルムとデジタルは
もう線の引きようのない状況になっているので致し方ないとは思うけど、
テレビでのみ放映されたものは「テレビドラマ」
劇場の大きなスクリーンで上映されたものは「映画」と
分けて考えるべきと思っている

米国で劇場公開されなくても
もしくは日本の劇場で上映されなくても
世界の何処かの「映画館」で上映されたのであれば
「映画」とみなしてよいと思ふ
逆に映画館で公開されていない全てのコンテンツは「テレビドラマ」と考える

しかし
この「テレビ」の状況も怪しい
PCで観たり、スマホなどの端末で鑑賞する場合は
「テレビ」とは言えない

画面の大きさで分けることも危ない
劇場用「スクリーン」に対して
大型「ディスプレイ」の扱いはどうするのか?

そんな問題に映画界が直面している昨今
etflix制作で
米国では一時期劇場でも公開された作品が
<ムーンライト>や<ラララランド>と共に
アカデミー作品賞候補になった
それが<最後の追跡>だ

そして
もっとややこしいことに
その作品<最後の追跡>は日本では劇場公開されず
etflixのみでしか鑑賞できない状況にある

米国ではオスカー作品賞候補になった「映画」が
日本では「映画」ではなく「テレビ」ドラマ扱いだ

いや、テレビドラマでさえなく
非スクリーンによる視聴方法の単なる「コンテンツ」という立場にある

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劇場でもDVDでも観られなければ
しかたがない、1か月無料体験でNetflixに登録して
アカデミー作品賞候補作<最後の追跡>を観た

一部では
<ララランド>を凌ぐ面白さと囁かれていれば観ずにはいられない
これを観るためだけのNetflix登録だ、、、

原題<Hell or High Water>
現代劇でありながら殆ど西部劇の雰囲気

なのに
ある田舎町で入った店では酒は置いてなく
ステーキとティだけ
しぶしぶ注文する保安官(ポリス)2名がおかしい
西部劇へのパロディと受け取った

そして、ほとんどニューシネマのノリ
タイムマシーンで70年代に戻って公開しても
ほぼ違和感はないだろう

車(馬は登場しない)
借金
銀行強盗
兄弟
警官相棒

ここに並べたキーワードだけで
あなたの脳内で想像したその通りの物語が展開される

でもね
なんだろうね
やはり70年代のフィルムのテイストはないんだよね

それはしょうがないけど

せっかくニューシネマなのに
デジタルで作られると味がないのは本当に残念だ

面白いし、非常に良いのだけど、
あの頃の空気感が少しだけ違うのがノリ切れない理由だ、、、

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