たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/永い言い訳

ヘアサロンを経営する奥さんが
旅行直前に
夫の髪を切ってあげているファーストシーン

カットの割り方(編集)がイヤで
主人公の夫の態度がイヤで
好きになれない始まりだ
しかし、ラストに効いてくる

その後
この奥さんが亡くなると
『次に髪を切るのは誰かな?』
『そのシーンが恐らくラストシーンになるのだろうな』と
ボクの興味はそちらへ移った

しかし物語は
主人公に似合わない
生活臭のする空間の擬似体験へと進む

イメージ 1

最初は好奇心からか
もしくは作家である自分の本能から
トイカメラの画調で俯瞰で撮られた団地の
母を妻を失った小さな家族の世界、生活を体験する

主人公は
自分も同じ境遇であるにも関わらず
「残された家族の気持ち」を知ろうとするかのようだ
これはブラックなユーモアなのか!

子供のいない主人公にとって
子供と接しているときは「反・自分」であり
何も自分を主張することがないが

自分が必要とされない日が訪れたときに
恥ずかしげもなく子供の前で
はじめて自己を開放する

小さな家族が再生に向う時に
自分は妻の死を境にしても何も変わらなかったのだ

子供を「リスク」と言い
自分の「幸せの尺度」を語りながら
子供を作らなかったのは「死んだ妻のせい」だったと言う

男の「結婚」や「家族」「妻」に対する
アイデンティティの希薄さをさらけ出す

永い言い訳には真実がない

そして「短い真実」は
シャボン玉であり
花火であり
セミのようなものだろう