たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

あの日に帰りたくない/3.11

6年前の
あの日のこと、、、3.11
 
Hは
弊社の嘱託職員で
個別の案件ごとに契約して
営業を任せていた
 
仕事のできる男で
顧客の信頼も厚い男は
2011年の3月10日から11日に
休暇を取る予定だった
 
「どこか行くの?」
「個人的にやっている仕事で打ち合わせのため仙台に行きたいのです」
「仙台かぁ、いいね、、、、気をつけて行ってこいな」
 
しかし
3月11日が近づいた頃
彼が担当している顧客との大事な仕事が入ってきた
 
「日程変えてもらえないの?」と、私が訊ねると
「ダメそうです」
「じゃ、もし俺でも出来るなら、代わりに・・・」と、勧めたが
 
Hは責任感が強く
何よりも顧客を優先していたので
その顧客のスケジュールを受け入れ
仙台には彼の友人(仕事仲間)を行かせる手はずを整えた
 
そして、3.11、、、
 
数日後
Hの友人が仙台で消息を絶ったことを聞かされた
 
Hの友人は
3月10日の打合せを終え、仙台で一泊し
3月11日の朝早く一旦視察のため外出してから
再びホテルに戻りチェックアウトした
 
その際ホテルのフロントの人の話では
「せっかく仙台に来たので観光というか、海の方へ行ってみます」と
言っていたそうだ
 
彼は妻帯者で
生まれたばかりの女の子の赤ちゃんもいた
 
Hは
自分の代わりに彼を仙台に行かせたことに責任を感じた
彼の奥さんに対して申し訳ない思いでかなり落ち込んだ
 
当初は混乱していたので
しばらくしてから
Hは友人の奥さんと仙台に向った
 
彼の手がかりを求めて
二人は仙台のあちこちを彷徨った
しかし、彼の姿も情報も何も得ることはできなかった
 
もしも死んでいるのなら
それは受け入れなくてはいけない事実だが、
遺体が見つからなくては
心の区切りも付かず
Hと彼の友人の奥さんの
悲しみと苦しみは絶えることなく続いた、、、
 
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もしも
あの日に戻れて
ボクに何ができるだろうか?
 
顧客のスケジュールが入ったため
Hは仙台に行かず難を免れた
一方
彼の友人とその家族の人生は終わった
Hは「自分が仙台に行っていれば」と再三悔やんだ
 
Hが仙台に行っていれば
海にも寄らず帰京したかもしれない
 
全員が
どうにか無事でいられたかもしれない
 
ボクがHに代わって
Hの顧客の対応にあたっていれば良かったかもしれない
 
Hは今でも
彼の友人の奥さんに毎月お金を送っている
 
3.11で
赤ちゃんだったその娘は、この春、小学生になる、、、