たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/彼岸花


カメラポジションと複数の役者の目線の関係性
構図並びに編集による調和
映画の会話シーンでのカット割りの基本
 
それを意図的に、前提を覆し、お約束を外してしまうのが小津
 
まるで素人ようなイマジナリーラインの超越に対して
当初とくにトリュフォーなどヌーベルバーグの連中は驚きを隠せなかったそうだ
 
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この彼岸花では
奥の部屋にキャメラを据え、役者を配置している居間を挟んで、後方に庭が見える
ところが途中で庭側から居間を、そして背景に奥の部屋が映るポジションに変えた
これが悪戯的でややこしい
 
カメポジがまったく反対方向に変わったので
上(かみ)下(しも)も変わるはずだ
 
キャメラの位置が前方から後方へ、後方が前方へ変わったことにより
対象人物が上から下へ、下から上へポジションが変わるはずなのに
対象人物のカットは同じままで、同じ切り返しになっている
 
そのため
前のカメポジの残像が残り
なにか違和感というか不思議な感じがする
 
観客に対しては配慮に親切さに欠けるようだが
これも小津の遊び心なのかもしれない
 
ただし
彼岸花に関しては切り返しのショット時に
人物を部屋の角隅を背景にキャメラに正対して配置しているのが特徴だ
 
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テレビのホームドラマはそこらへん拘っているようだけど
たとえばコマーシャルやミュージックビデオや最近の映画においては
まったくその辺考えず勢いだけでやってることも多い
 
セオリーではなく
なんとなく、雰囲気、空気、気分、勢いを優先している
 
小津は50年以上も前から
セオリーを逆手にとって新しい感覚の独特の手法を用いていたわけだ
 
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彼岸花に関してはもうひとつ
上手いなぁ、と思うのが、
 
普通は人物を描いてから
⇒「結婚させてください」と登場なる
⇒これじゃ、普通で面白くない
⇒いきなり、よく判らない男が現れて言う
⇒言われた方は困惑する
⇒観客にも父親の気持ちになってみせたい小津の魂胆
 
こうすると
⇒その後、どんな人物かを徐々にみせていく
⇒見せるといっても本人はほとんど出ないんだよね
⇒周辺から話を聞くだけ
⇒そんな調子で人物描写されていく、面白いね
 
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普通の逆なんだよね
だから面白いんだよね
小津はいつでもユーモラス