「いつまで生きるつもりだ」と、麻生さんが発言したそうだ
その発言をかばうつもりは毛頭ないが
正直私も麻生さんとはちょっと違うが
「いつまで生かすつもりだ」と思うところがある
日本の延命医療は世界一の技術だそうだ
長寿国日本の長寿記録や実績は
実は「長寿」の記録ではなく「延命」による記録ともいえる
健康であれば
90才でも100才でも110才まで生きるべきだ
末永く長生きしてもらいたい
だが
医療による延命処置で
息を続けることが果たして幸福と言えるのだろうか?
ペットの死と向き合う際
日本と欧米では考え方がまったく違う
参考として
日本映画<犬と私の10の約束>と
米国映画<マリー・世界一おバカな犬が教えてくれたこと>を比較してみると良い
日本は感情を優先して出来るだけ長く息絶えるまでそばで見守る
米国では犬の苦しみを取り除くことを優先して考え絶命させる
また
競走馬が骨折した場合安楽死させるが
日本では必ず「可哀相」という声があがるが
その苦しみを考えると本当に可哀想なのは生かしておくことなのだが
それを日本人は知らず、可哀想や感情を優先する
「おばあちゃんが可哀相だが出来るだけ長生きさせようね」といい
日本の最先端延命医療技術や投与漬けで「生かされている」としても
はたして、それで本人は幸せであるのだろうか?
意識もハッキリしない状態で生かされ続けることこそ可哀相とはいえないか?
特養に預けてほっとするのは家族だけで、
死ぬまでベッドの上から抜け出せない当の本人は幸せなのだろうか?
延命により生かし続けることで喜ぶのは
実は医療機関、介護ビジネスだけではないだろうか、、、
私なら
脳死や健康に回復できない状態で
できても自力で生活できない状態で
誰かの助けを借り負担をかけ
多額の医療費をつぎ込むのなら
安楽死させてほしいと思ふ、、、
言葉のとおり
安らかに死ねるだけでも幸せだ。