清原は本当岸和田の恥さらしだね
でもね、岸和田の名前を広めたのもダンジリであり清原である
ヤツが岸和田の英雄だったことは事実だ
岸和田は自分にとっても思い出の場所で
若い頃まだ関西空港ができるずっとまえに
ある記録映画を撮りに行ったとき
1か月ほどお世話になった場所が岸和田だ
岸和田というと大阪の中でも柄が悪い地域として
東京の方でもそんなイメージだったが
南海線を和歌山の方へ下って行ったその場所は
ボクにとっては非常に親しみやすい場所だった
大阪の人は地元愛が強くて東京に対する対抗意識も強いが
東京からやってきたボクを
ボクが1か月世話になるその民宿の家族は
非常に親しみやすく接してくれた
瀬戸内海に出て撮影のため数日戻らないこともあったが
岸和田に居る時の夜は
民宿内にある共有スペースのバーで
大阪弁バリバリで
時々意味が解らない言葉を使う民宿のお母さんと呑んで過ごした
(関西の言葉は分かっているつもりでも微妙なニュアンスを理解していない、ましてや30年近く前のこと)
お母さんには滅茶苦茶キレイな娘がいた
気を利かせてくれて
娘にボクを玉突きに連れて行ってやれとか
どっかに遊びにいけとか行ってくれた
そんな生活の中で一番印象に残った思い出
ある日オフだったので
民宿に客はボクだけ
「たっふい君、うちら外出するから留守番しといて」って云われ
民宿の家族も全員外出してしまったので
ボクは一人、ウンコして、部屋に戻って、本読みながら
ゴロンと寝っころがっていた
すると
しばらくすると
小さいながらもゴォォォォという音が聴こえてきた
は?
なにげに音の方向、廊下の方に目をやると
廊下が川になっていた
大量の水、水、水が流れている
そして、何やら茶色い物体がプカプカ、、、、
ぁ、、、、、
あわててトイレに走る
やはり、、、トイレから水がゴボゴボ溢れている
廊下は勿論
階段をつたって階下へ滝のように水が落ちていく
それからの2時間、、、そこそこ大きな民宿の水掃除
はぁ、、、終わったと、崩れるように一階に座り込んだ瞬間
お母さんと娘が「ただいま~」と帰ってきた
ほッ、、、
そして岸和田を去る最後の夜
二番目に思い出深いことが
いつものように
お母さんとバーで呑んでいると
お母さんが「となりに座っていい」と
その返事をボクがする前にボクの横に座っていた
お母さんは寂しそうな雰囲気を作り
ボクの肩に顔をのせ若き日のボクを困惑させた
そして、こう云った
「うちの娘、どう?」
想定していなかった予想外の問いかけに戸惑った
「え、どうって、、、すごくキレイでイイ子で」
するとお母さんは顔を乗せてたボクの肩から
飛び上がるように離れ
「そ!気に入ってるのね!」
「は、、、」
「どう、うちの娘、嫁にもらわない?」
すごくイイ子でベッピンさんで
願ったり叶ったりの話しなのだが、、、
当時のボクには
結婚を前提にお付き合いしていた女性がいたので
そう話した、、、、モッタイナイ!
って
以上のように
清原から岸和田を連想し
その岸和田の一番の思い出が
ウンコが廊下をプカプカ流れるビジュアルだったのでした、、、
-完-