たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

映画感想/すずめの戸締り(伏字で戸締まり中)

 

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ネタバレではなく、感想自体が伏せた方が良いと思うので、この映画の感想に関しては伏字とする、、、(カーソールでなぞる)⇒金輪際、新海の映画は見ない!仏の顔も三度までだ!<君の名は。>以降そのたびに独りではなく誰か脚本家と共同でやった方が良いと言い続けた、勿論それは本人の耳に届くわけはないが、脚本が独りよがりなことを自分自身認識していないようだ、、、知らない観客は時に『ふむ?』と違和感を感じながらも普通に楽しめたかもしれないし、アニヲタに関しては「宮崎駿愛」「諸星大二郎」「宗像」「庵野」「細田」「日本神話」パロディであり、ワナビーで苦笑しながら楽しめるかもしれない、、、すべてどっかで見たことのあるようなシーンばかり、とうとうユーミンの曲まで登場させ露骨に黒猫まで登場させる始末、、、今まで新海の作品はデビュー作から全て観てきたが、初期の自主制作とは違うのだ、巨額な制作費を手にして遊びする、これはやってはいけない、映画ファンからとてつもない注目を浴びる商業映画なのだ、きっと川村元気が巧いこと新海を操縦してどうにか公開できるレベルまでに軌道修正しようと頑張った結果なのだろうが(推測でしかありません)、脚本家も呼ばず自分だけであくまでもやりたいと個人の思いだけで作り続ける限りボクはもうこの人の映画には二度と戻ってこない(ひとりくらい観客を失っても痛くも痒くもないだろうが)、、、、

 

災いをもたらす日本各地にある扉を、椅子にされてしまった青年と女子高生が各地を移動しながらそこで出逢う人達の交流を交えながら戸締りをしてゆく物語、、、宮崎、愛媛、神戸、東京、東北、、、

 

それでも最初のうちは良かった、ローアングルを駆使したり、動きの良いキャメラ、主人公ふたりのファーストコンタクトのシーンで期待が高まった、、、しかし、俄然椅子の動きが激しくなる直前に「椅子にもなじんで、体が動くようになってきたぞ」なんてセリフを聞かされた時には椅子からズルッ滑った、たぶん当初はそんなセリフはなかったのだろう、突然椅子の動きが良くなるのは違和感があるからセリフで補った方が良いと川村元気あたりが助言したのだろう(推測でしかありません)、、、そして最後はいつもとおりのグダグダとっちらかっちゃって、なんだかなぁ~、、、アニヲタネタに徹しすぎ、そういうのを知らない人には必要のないものが多すぎるのだ、なんでこれ?って場面でも、ヲタには意味があっても、一般客には意味がないことばかりしている、それでも観客はなんとなくの勢いに押されて疑う事もなく楽しんでしまうのだろう、、、とにかく独りよがりのアニヲタに莫大な制作費を託した大浪費映画、、、新海に期待されるリアルで繊細な絵も影を潜め、得意の紫がかった空だけで、観飽きた感とともに怒りがこみあげてきた、、、

 

新海の描く物語のベースにはいつも不安とか心配事とかネガティブな要素が支配されている、そして最後にスペクタクルとくる、、、そういったスペクタクルなものより<言の葉の庭>がきっとこの人のピークだったんだろうなぁと悲しく思った次第だ、、、

 

女子が靴を脱ぐ意味、男子の靴を履く意味、扉のメタファー、赤い車、<風の電話>、新海の映画には必ず登場する坂道、、、

 

1.5☺ ここまでが伏字

 

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ジブリみたいにキャラクター作れよ」命令が発令されたのだろう、、、

入場者にはもれなくもらえるパンフレット、、、