たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/霊魂の不滅

 


「不滅の霊魂」ではないのだね「霊魂の不滅」霊魂と云うものを語るのではなく、不滅についての映画、、、ベルイマンの<野いちご>では主役を務めた「スウェーデン映画の父」ともいえる大監督(米国ではヴィクターシーストラム)、米国時代にはリリアンギッシュで<風>なんてとてつもない傑作を生みだしている、、、

 

 

toughy.hatenablog.com

 

万人受けする映画を選別して効率よく映画配信するNETFLIXとは違いAmazonやU-NEXTは映画フリークの要望を満たしてくれる、、、NETFLIXでは100人に一人くらいしか「あ!」と思わないような作品は流さないだろうが、Amazonはやってくれた「あ!霊魂の不滅!」100人に一人しか喜ばないだろう1921年の作品が配信されるとは夢にも思わなかった、サンキューベリーマッチAmazonPrime!

 

 

物語

救世軍のシスターエディスは大晦日の晩死の淵にいた、彼女はデビッドホルムに会いたいとうわ言のように云うのだった、、、破滅的な生活を送るアルコールに溺れた中年男デビッドホルム、彼は大晦日に飲み仲間たちから恐ろしい「幻の馬車」の噂を聞きつける。大晦日の夜に死んだ罪人は、その次の年に死神に付き従って、死者の魂を集める馬車の馭者を一年間務めなければならないというのだ。そしてデビッドは仲間たちとの突発的な喧嘩によって、新年になる直前に命を落としてしまう。墓地に横たわる自分の死体を見下ろすデビッドの霊魂。彼の側に、「幻の馬車」がやってくる。馬車の馭者を担当しているのは、一年前に命を落としたデビッドの旧友ゲラーだった。ゲラーはデビッドに対し、嘗ての彼が如何に家族思いの男であったかを告げる。そして悪い仲間と付き合ってから、妻のアンナや救世軍の少女エディスに対して酷い振る舞いをするようになったデビッドを糾弾する。ゲラーに導かれてデビッドは、生と死の狭間の中で、自らの罪を悔いる旅に出るのだった、、、(Wikiより加筆転載)

 

 

演者の表情がとてもいい、舞台の人たちなのだろう、しかし演劇臭さがない、無声映画特有のオーバーアクティングにもならず、ハリウッドの役者よりも角が取れているような演技がいい、、、

 

<散りゆく花>を思わせるような、主人公の邪悪な振る舞いには震えずにはいられない、、、寝ずに繕ってもらった服を本人の目の前で破く、改心する友人を指さして大笑いする、閉じ込められて斧で扉を破壊するシーンはまさしくキューブリックの<シャイニング>そのものだ、、、

 

 

原作があるそうだが、物語を深く伝えることについては映画は書物に敵わない、同じようにライブ感では演劇に映画は劣る、視覚的に具現化し様々な角度や方法で見せることにより映画は映画の優位性を保つ、まさにそれをやってのけた作品、フラッシュバックやオーバーラップを駆使しそれが効果的に機能していてスウェーデン映画というより映画史上の非常に貴重な作品であることを確認できた、、、

 

貧困は社会による結果かもしれないが、不幸は不運によるものではない、、、シスターの願いは世界が滅びるまでの切なる不滅な願いだ、、、

 

P.S.

あ、そういえば友人が言った「俺はあまり幸福ではないのかも知れない、どうも運気が巡って来ない、ずっと貧乏だ」ボクは云った「え、好きなだけ映画観てるじゃん、好きなことを続けられることが一番幸福でない?」「でも、金がないからロードショーにはあまり行けないし」「あのね、金がないのに、女や子供二人が文句も言わず別れずにそばにいてくれるんだぞ、こんな幸福なことはないじゃないか」「いや、それなんだよ、不憫で悪くて」「貧乏だから必ずしも不幸ではないよ、お前がそうやって家族のことを大切に思っている気持ちに、きっと家族は幸福なはずだよ」

 

スタンダードをワイドのサイズに見立てる構図がキマっている