たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

埋もれがちな傑作/グロリア(ルメット版)

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「Rotten Tomatoesによれば、29件の評論のうち、高く評価しているのは14%にあたる4件のみで、平均点は10点満点中4.2点となっている[2]。 Metacriticによれば、19件の評論のうち、高評価は2件、賛否混在は8件、低評価は9件で、平均点は100点満点中26点となっている」(Wikiより)

 

そんなバカな!どんなバカが採点しているか!

それもこれもオリジナルのカサヴェテス版の評価が高いからなんだね、そのうえジーナローランズの演じたキャラの印象が強いから、、、前作がハードボイルドでノワールでタフで強い女の物語に対して、そんなグロリアのキャラのこだわりを排除したまったく別のグロリアが本作では綺麗な脚以外には武器も魅力もない、頭が悪くて、タフでない、ハートも決して強くない、先のない「ないないづくし」の女の物語になっている、、、だから正当に評価するならオリジナルと本作を比較してはいけないんだよ、、、、もしもカサヴェテスが撮っていなくて、ルメットがこれを初めて世に出して来たら、RottenTomatoes野郎たちの評価もまったく違ったものになったはずだよ、、、

 

なぜルメットがこのリメイクを思い立ったのかは不明だけど(本人にはリメイクのつもりはなく別モノ)、カサヴェテスも<グロリア>に関してはいつもの寄った画の多用は抑えていたけど、同じNY派であっても、人物に寄って寄ってあからさまに人間を暴くカサヴェテスに対して、引いて引いて広い視野からありのままを描くルメット違い、それが<グロリア>という一人の女性通して二人の監督が自分なりの撮り方で撮って、まったく違った「グロリア」と同時に「(監督)自分自身」を表現したのかもしれない、、、

 

映画にとって、「アングル(構図)」「編集」と同じように大切なのが「脚本」だけど、その脚本に大切なのがエピソードを生むシチュエーション、この映画の中では刑務所、空港、バス、地下鉄、風呂場、ホテル(モーテル)、食堂、教会、施設、競馬場、飛行機、電話、カーチェイス、、、幾つものシチュエーションが用意されている、これがなくて映画を成り立たせるのはとても難しいことなんだよね、シチュエーションがないと撮るのが難しくなる、それを用意していない映画はよほどの腕のある監督か、もしくはそれを知らない人たち、だから学生映画なんか観ていても難しんだよね(河原や海、公園、学校、狭い部屋の設定が多い)、そりゃ、撮影許可はなかなか取りづらいけど、ロケハンをしっかりして、いろんな場所にキャメラを連れて行かないと良いものは撮れないんだよね、その点NY派でロケの多いドラマを作りつづけてきたルメットという監督は、街という限られた空間を最大限に利用するのが巧いんだよね、、、

 

誰もが本作を「母性の映画」と結論付けるかもしれないが、今まで誰かしら男に人生を委ねてきた主人公の女(いくつかのセリフでも証明されている)が、先の見えない状況で拾った男の子を「一人前の男」に育てて自分の未来に委ねようとしているようにも感じるんだよね、彼女にとって男の子が最後の賭けで、未来へつなぐ存在なのかもしれない、、、男の子が主人公の女と同じベッドで寝るのが好きだというセリフと、それに対するシャロンストーンの表情に、変態的な思考のボクにはとてもセクシャルなイメージに伝わった、、、

 

カサヴェテス版は大傑作で、非常に優れた映画ではあるけど、、、評価の低いこのルメット版こそ、不正当に埋もれさせられた傑作であるとボクは思うね!

 

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