たふえいんといなあふ 不思議な魔法の言葉 

No Movie, No Life、、、映画と食べものと、ときどき天然妻、、、

小説/Tとのこと_あの熱かった夏(1/4)

(1)同じ年の女

 

 高校時代からの友人の守と僕は、たびたび伊豆半島を南下していた。湯河原から海岸線を下田まで。いわゆるサーフィンの出来るまだあまり知られていないシークレットポイントを求めて僕の変な赤い色のパルサーを走らせた。

 伊豆白浜にも良い波が立つが、有名すぎて人がたくさんなので、その美しい景色を左に見ながら、さらに南下し下田の駅前を通過する。国道から海に向かって左に入る全ての道をいちいち入ってみた。そしてまず多々戸浜を見つけた。まだリゾート地になっていなかった頃の多々戸は非常にいい波が立っていたが、数年後に訪れた時には大きなリゾートホテルができ、海の地形も人工的に手を加えたようでサーフィン向きの良い波は立たなくなっていた。次に入田浜を見つけた。のちのちSAS桑田佳祐がサーフィンを披露するテレビコマーシャルなどが撮影され有名になった場所だ。しかし、僕らがそこを見つけた頃はまだサーファーの姿さえなかった。そして、その後に吉佐美大浜を見つけた。今のように海岸に辿り着くまでの道は整備されておらず、その先に浜があることを感じさせない農道を僕たちは進んだ。途中、鳥居を見つけたので一旦車を停めて、その土地の神様に挨拶をした。「お邪魔します。いい波がみつかりますようね」と。再び狭い道を行くと、いきなり視界が広がり、更にその向こうにビーチがあった。二人は顔を見合わせた。求めていたものが見つかったのだ。なぜか外国人(白人)が家族で数組来ている。日本人はいない。そしてサーフィンを楽しんでいる。ハワイやカリフォルニア出身の軍人なのかもしれない。彼らも人のいないようなビーチを求めてここを探し当てたのかもしれない。まさにここは誰もが辿り着けるわけではない楽園だった。

 

 しかし、楽しめない夏が来た。そんな浜の事情が一変していたのだ。

 「この夏はあそこでじっくりサーフィンしようぜ、テントなんか持って行ってさ、朝も昼も夜も好きな時に海に入れるぞ」

 「そうだな、そうすりゃ宿代もかからないから長居できるもんな」

  梅雨明けが宣言された日の晩、僕と守はそこを目指した。今回はサーフボードの他にテントも積んでいる。すでにテントが張れそうな場所も見つけておいた。僕たちは二週間ほどの予定で東京を出発した。二人の思惑は金をかけずに長いことサーフィンをしながらあの楽園で過ごすことだった。しかし僕らに待ち受けていたのは予想だにしない現実だった。

 

 夜中に到着したので、テントを張る予定の場所でその晩は車の中で眠った。しかし朝はすぐに来た。二人は朝日よりも車内の暑さに起こされたのだ。車の中に留まってなどいられない。すぐに車を飛び出し、ボードを抱えて海に飛び込んだ。火照った身体が一瞬で冷やされ、透明に近いブルーの波の飛沫を浴びると生き返った。ほとんどサーファーもいない。静かな海の上で完全に波を独り占めしている喜びと興奮に小便を漏らす。

 サーフィンに疲れると陸に上がり、テントのそばの主に食料品を売るおばちゃんの店に寄る。樹木に覆われた掘っ建て小屋だが、この木陰の下でおばちゃんが握った塩むすびと麩の入った濃い目の味噌汁に沢庵と柴漬けが出される。ときどき贅沢におばちゃんから海苔をもらって、塩むすびにパリパリの海苔を巻いて喜ぶ。

 しかし、朝食を楽しんだ頃からだんだんと日が昇って来る。軽く眠りたいのだが陽を避けて、涼しく休める場所がない。太陽が真上に来る頃には日差しに体が痛めつけられる。いつか太陽に殺されてしまいそうだと本気で焦り、二人は日陰を求めて逃げ回る。太陽との格闘が延々と夕方まで続く。そりゃ、車に逃げ込むのも手だが、炎天下にずっとエンジンをかけてエアコンだけを作動させるのも不安だった。テントの中に逃げて込んでも太陽は僕たちを許さない。昼間のテントの中は暑苦しく地獄だ。どうしても暑さから逃れることはできない。数日遊びに来ているわけではない。朝から晩まで太陽の下にいるのだ。夕方になって水平線に陽が沈みはじめると少しホッとする。あの殺人的な日差しがもう僕たちを追ってこなくなれば死から逃れられるからだ。それでも暑さで夜も熟睡することができない。

 それと、知らない間にここも知られるようになったようで、沢山の人がビーチに来ている。そりゃ、湘南や伊豆白浜に比べれば全然たいしたことはないが、人がまるっきりいないのがこの浜の魅力だったのだから、それが二人をイラつかせた。宿は浜辺のそばにはないので、ビーチで遊んだ泊り客は最近整備されたばかりの舗装された元の農道を国道までゾロゾロと宿を目指して歩いてゆく。僕たちの場所が荒らされている。

 僕たちは夜になると、車を走らせ食事に出かける。食事を終えるとテントに戻りビールを飲んで過ごすのが基本だ。ボクたちの隣のテントでは男女のカップルが本格的なキャンプをしている。僕たちの貧しい食生活ぶりを見かねたのかBBQを恵んでくれたりするのだが、そのガッチリした背の高い男はファッション雑誌で見掛けるモデル(※0)だった。恋人らしき女性はその後彼と結婚に至る元アイドル歌手だった。最近見掛けないと思っていた元アイドル歌手はとても可愛かった。

 昼間の敵が日差しならば、夜の敵は「退屈」だ。3日目からは近所で見つけたボーリング場やバッテイングセンターで遊んだ。とくにクーラーの効いたボーリング場は天国だった。しかし、そういうこともお金がかかることだ。行かなくなる。24時間、暑さと格闘しながら、贅沢もせず夜は退屈に過ごし、目の前には互いの同じ顔がある。自然と口もきかなくなってゆく。

 

 何日目かの午後、海岸から海に向かって右側にそびえる大きな岩山の陰に逃げ場を見つけ僕が昼寝をしていると、近くに女の子の声がした。薄目を開けて声の方角に顔を向けると、20歳くらいのビキニの二人連れの女の子がバカチョンカメラ(※1)で互いを撮り合っていた。かなり可愛い二人組だ。ここは是非とも『お友達になりたい』と思い、

 「撮ってあげようか?」と声をかけてみた。

 二人は何の遠慮もなく「お願いしま~す」と言って、その表面が紙でできた使い切りカメラを僕に渡し、レンズを向けると笑顔でポーズをとった。すると、どこで見ていたのか、守が近づいて来た。もうこの頃は僕と守の間では会話もなく、昼間は相手のことなど構ってられない。互いに太陽から逃げ生き伸びることしか考えず日陰を求めて彷徨っていたのだが、どこからともなく守は現れた。

 「オレも一緒に撮ってくれよ」

 守を挟んで可愛い二人が守の肩に手を載せるポーズを決めた。

 「バター」

 僕の掛け声に三人は思いきり笑顔を作って一葉の写真となった。そして、その写真は生涯、守のお気に入りの一枚となった。

 金のない二人が珍しく、喫茶店にその二人の女の子を誘った。

 「ずいぶん黒いですね」

 「うん、俺らそこにテント張って暮らしてんだよ。ホームレスだから」

 「フフフ、サーファーでしょ?」

 「え、そうみえる?レゲエっぽくない?(※2)」

 二人は東京から来たという。港区にある保育園で保母さん(※3)をしていると言う。守は終始ニコニコしていたが

 「いつまでここにいるの?」と訊ねると

 残念なことに「今日帰る」と言うので、守を大変ガッカリさせた。

 

 その夜、守はその日あった二人の女の子のことばかりを話した。会話がなくなっていた僕と守に話題が生まれたのだ。よほど気にいったらしく、この二人のことは東京に帰っても、また何年か経っても度々守は語るのだった。

 

※0「ファッション雑誌で見掛けるモデル」

阿部寛風間トオルよりも一世代前の男性雑誌のモデル、その後アウトドアのアドバイザーとして活躍している。この時一緒だった元アイドル歌手の女性とはその後結婚している。

 

※1 「バカチョンカメラ

まだこの当時は誰もが違和感なくその言葉を使っていた。「バカチョン」をある人種に対する差別的意味を含んでいると言うのが通説になってしまっているが、当時の人々はそんなニュアンスを込めてその言葉を使っていなかった。ある時、誰かがそう言いだして、人々は『え、そういう意味だったの』と絶句し、みんな慌ててその言葉を使うのを止めた。ところが僕は誰かの悪意によって後付けされた意味だと思っている。

 

※2「レゲエ」

今でもホームレスのことをレゲエと呼ぶのだろうか?それは知らない。

 

※3「保母さん」

今は保育士と呼ぶのだろうが、「保母さん」という言葉は使ってはいけないのか?僕は知らない。

 

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