あまり調べず書いているが、<リプリー>は原作に忠実にストーリーを追って描いていて、<太陽がいっぱい>は原作にこだわらず監督の意識が大きく働いているように感じる、、、だから同じ原作であっても、そのように感じないのだが、あらためてルネクレマンの手腕と<太陽がいっぱい>が優れた映画であることを実感した、、、
たとえば、いきさつについて<リプリー>では細かく説明をしているが、<太陽がいっぱい>では、その説明部分は極端に少なく、ほんの少しのセリフでにおわす程度に留め、監督は見せるポイントを絞っている、、、
<太陽がいっぱい>の主人公はソツがなく、自己の目的を達成するために手際のよい知能犯である、一方<リプリー>の主人公にはそもそも目的はなく、成り行きに任せて立ち回ろうとしている姿がむしろ苦しい、、、主人公がクールな<太陽がいっぱい>に対して<リプリー>の主人公には感情移入してしまう観客心理が働く、、、それは同性愛のニュアンスをハッキリ示しているからかもしれない、同情の余地があるのだ、、、
いずれにしても、これを観たことで<太陽がいっぱい>が更に際立つことになった、、、