大昔の映画<四十二番街>のシーンにおいて
はじめてキャメラが真俯瞰からステージを捉えた瞬間に
映画は舞台を超え、その映画は「名作」となった、、、
ほとんどのレビューで好感度が高い
これは劇場で観ておくべきだと思い鑑賞に至った、、、
舞台やステージ(ショー)などを撮影した映画は多い
昔、小津安二郎も<鏡獅子>という歌舞伎を映した記録映画を撮ったが
いったい小津である必要があったのだろうか?
この映画のボクにとっての注目は
なんでスパイクリーが監督したのか?
その意味を知ることに尽きる
こういう映画の場合
監督の役目はキャメラワークでしかない
それでも長編の劇映画を撮っている監督が撮る意味があるはずだ
映画の終盤
スパイクリーであった理由が明らかになる、、、
この映画の中で歌われる曲の多くに
「家」という歌詞が登場するが
デビッドバーンが歌う「家」は
自分の殻、ステージ、街、社会、国であるのかもしれない、、、
いくら映画(館)が素晴らしい音響システムを持って
3Dなど最先端の技術を開発していっても
ライブが直接胸の鼓動に呼びかけるそれには及ばない、、、
映画は舞台を超えたが(優位性の意味で)
しょせんは、舞台を映画は超えられない、、、
音楽をこよなく愛する人たちには
とても素敵な時間を体験できる映画
映画を繰り返し観たくもなるが
実際のステージをライブでこそ体験したいと心底思うはずだ、、、
3.5☺