小学6年生のサッカー仲間、木山諄、河辺、山下の3人は、ふと人の死について興味を抱き、近所に住む変わり者の老人・傳法(でんぽう)喜八に目をつけ、彼がどんな死に方をするか見張ることにした。荒れ放題のあばら家にひとり住む様子を観察する3人に気づいた喜八は最初は怒り出すが、やがてごく自然に4人の交流が始まる。老人の指示通り子供たちは庭の草むしりや家のペンキ塗りを行い、庭にはコスモスの種を巻き、家は見違えるようにきれいになっていった。子供たちは喜八から、古香弥生という名の女性と結婚していたが別れたという話や、戦争中、兵隊をしていた時にジャングルの小さな村でやむを得ず身重の女の人を殺してしまった話などを聞く。3人は喜八の別れた妻を探し出すことにし、やがてそれらしき人を探し当て老人ホームに訪ねるが、部屋には担任の静香先生がいた。先生は何と弥生の孫だった。弥生はボケているのか夫は死んだと答えるばかりだったが、静香は喜八は自分の祖父に違いないと確信し、彼を訪ねる。だが喜八もそれを否定した。そんなある日、子供たちはサッカーの試合の帰りに喜八の家に寄ってみると、彼は既に息絶えていた。葬儀の日、3人の子供たちや市役所の職員、遺産のことばかり気にする甥の勝弘らが見守る中、静香に連れられ弥生がやって来る。じっと棺の中の喜八の顔を見つめていた弥生は、生きている相手に向かうかのように正座して「お帰りなさいまし」とお辞儀した。数日後、取り壊しを控えた老人の家を訪ねた子供たちは、暗い井戸の底からトンボや蝶、ホタルが次々と飛んでいくのを目撃する。それはまるでおじいさんが3人に別れの挨拶をしているかのようであった。
相米が、いつも子供(もしくはティーン)にこだわるのは何故だろう?
そして、相米映画で演じている子供たちは総じてヘタ
あの名子役といわれた坂上忍で
<ションベンライダー>さえヘタな演技を披露することになる
それ狙いなの?どういう狙い?
どうしても長回しが多いから演劇風になるってこと?
だからといってそれが良い効果になっているとも感じない
むしろやらされている感が気になって仕方ない
厳しい演技指導で知られる相米だが
故人にいうのも不粋だが
いったい相米は正しかったのだろうか?
この映画でも
子供たちのぎこちない演技と共に
仲良し三人組がいまひとつ仲良く見えないし
それでも、完璧主義者の相米がそれを良しとしたのだから
それを狙っているのだろう
また、主人公三人組のキャラ付けだが
マンガちっくなキャラ設定で
メガネの子が泳ぐときでもメガネをしているようなことをやる、、、
それでも傑作と思えること
まずは
橋の欄干を綱渡りのように子供が歩きながら
長いセリフを吐くシーン
この映画が「生と死」について語ることを
冒頭の方のこのシーンで監督は宣言しているようだ、、、
ラストの井戸から蝶がたくさん飛んでくるシーンは
おじいちゃんだけでなく
戦地で死んだ沢山の人々のようでもある
大林が晩年に残した幾つかの反戦映画よりも
ボクは相米のこの映画の方により胸が締め付けられる、、、
兎に角相米が巧いのが
ぽんぽんぽんとアイテムをぶち込んでくるところ
もちろん毎回のように登場する「雨(嵐)」「花火」もだが
ブランコ、井戸、包丁、スイカ、障子、、、
それぞれのシーンに印象を添える数々、、、
そして何より
音楽の付け方がいい
音の当て方が巧い
ここらへの感覚は他の映画から
もしくは誰かから学んだのだろうか
それとも元々そういうセンスが身についているのだろうか、、、
<光る女>と<風花>はまだ鑑賞していないが
相米の残した作品の中でも上位に来るかなり良い出来の作品だった、、、